7 Apr 2015

divine role.


そろそろモヘヤのセーターは役目を終えて、床に就くところ。
カシミヤのセーターもツイードのコートも
フェイクファーのクッションもみんなお疲れさま。

街の至る所で、新入社員たちの集団が群れをなしている。
まるで制服みたいな「スーツ&トレンチコート」姿の女の子達。
髪の毛は今日という日の為に慌てて黒く染めた風なのが、
あまりにも分かりやすくて初々しい光景。

「限りなく黒に近い茶色でお願いします!」
それとも、
「地毛に見えるくらい自然な感じで。」
って、きっと美容師さんにリクエスト。


サクラがひらひらと舞いながら、今道路を横切っている。
風に揺られて道端に集まっては、音も立てずおもむろに散っていく。

「今年も私の役目は終わったわ。。皆さん、また来年!」

なんてノンシャランにあくびでもしてたりして。

(本当にもう行っちゃうのね。。)

こんなこちらのセンチメンタルな感情なんて全く無関心な様子で
振り返りもせずに行ってしまう。

なんて清々しいんでしょう、あなたという人は!

自分の“役割”をちゃんと心得ていて、
人目につかない所で長い間ずーっと下準備してるんだから。
そうして出番が巡ってくればサラリとその役目を果たすし、
終焉を迎えれば清らかに去っていく。

ちょっと潔い良過ぎるのよ!

サクラにセーター、新しいスーツに旧い手帳。

それぞれがそれぞれに担っている“役目”があるらしい。
ちょうど俳優達が与えられた役を演じるみたいに。
それが主役であっても脇役であっても重要なキャストのひとり、
幕が閉じるまでは演じきらなければならない。

“使命”と言うと、あまりに厳粛過ぎてちょっと違う!
それよりもっと単純化した自然のやりとりのような
それぞれが他に“与えるもの”。

サクラは世の中に春の訪れを告げ、始まりと喜びをもたらす。
でも彼女たちは長い眠りから醒めてただ咲きたいだけ、
ちっともそんなつもりじゃないでしょう。


それは私たちの日常生活の中でもあること。

例えば。。

何気なく送ったメールの一句が相手を喜ばせたり、
何も考えずに行った行動が誰かの決断の引き金になったり、
軽く叩いた肩の感触が誰かの心を軽くしたり、
或いは、
ただ単にそこに自分が居ることが誰かを幸福にしたり。

それが直接的であっても、間接的であっても
他人にとって自分が重要な"役目”を果たしていたりもする。

特に努力もしないし、骨も折る事もない。
意図的でもなく戦略的でもなく、
自分が無意識に他に与えているようなこと。

自分以外のものを動かすエネルギーをまさに自分が発電しているみたい。
何のリスクも問題もお金もかからない、
人と人との間で起こる新しくて永続的なエネルギー源。

こんな風な自分と他者との関わり方はとても不思議で尊い形。

自分が出来ること = 果たすべき“役目”

のような目には見えない何らかの法則があるならば、
私たちはそこにプライドを持って良いと思う。

何気ない個人的な営みの一片が
知らず知らずのうちに誰かの役に立っているって、
やっぱりちょっといい気分。
“自分が役に立っている”という認識は
それが些細な事でも喜びと自信を与えてくれるから。

それじゃ、一体私の“役目”って。。?

もしかしてそれは、今、毎日関わっているもの全てなのかも。
自分が今やろうとしていること、既にやっていること、
社会の中でやむ終えず動かされていること、
時に嫌々ながら、時には楽しみながら、
悩み、喜び、驚き、怒りなどの感情によって発信しているもの全部。


春のおしまいに一瞬だけ、こんなことを考えてみる。

自分の一番の輝き方を心得ているサクラが、美しい。
例え一年に一度だけ、数週間でも。

春よ、またね!


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