28 Mar 2015

“春”の名の下に。


欲しいのはハーモニー。

春を目の前にして、今一番欲しいもの。
何かあともう一歩という感覚。

春はもう目と鼻の先。

ねえ、今年もちゃんと巡ってきたんだね。。
きっとまた何か新しいの、運んでくるんでしょ。

そんな予感がする。
気配だってあるし、兆しさえ感じる。
なんだって、すごく期待してる!
今年は何か違う気がする。。

なんて、意地悪なプレッシャーかけたりしないから。

やっておいで。
いいんだよ。
ちゃんと来てくれさえすれば、それでいい。

この時期の春は少し臆病者。
だから少しだけ気を配ってあげたいところ。
ほら、風に身を任せて窓の隙間から入り込んでくるかと思えば、
あらら。。やっぱり行ってしまった。
なんてこと、よくある光景でしょう?

そして、春は美しいハーモニーを見いだす季節。
その為にはきれいな響きの、均整のとれた和音が必要で。
完成させるのに、あと一つだけ音符を探してるとこ。

今日は古くて新しい音楽が聴きたいの。

ジャズが苦手なあの人の居ない隙に、
沢山のCDを腕に抱えて試供コーナーへ向かう。


壊れかけのプレーヤーに少々いらつきを覚えながら、
やっぱりこの場所がお気に入り。

小さな幸せの時間をくれるこのコージーコーナー。
ヘッドフォンをつけて前のお客よりヴォリュームをひとつまみほど上げる。
始めの部分が肝心なんだから!

「幸せは待つ人にだけやってくる」っていう
あのハーゲンダッツのコマーシャルを思い出しながら、
空を見上げてミリ・ヴァーノンの「weep for the boy」を聞く。

それから、「spring is here」が流れかけたところで、
いくつかの春を形容する言葉を思い浮かべる。

サクラ、たけのこ、もも、うららか、うるわし。。

今、平和を探してるとこ。
優しいことばの響きの中に眠る平和を呼び覚まして
いつの日かの誓いを果たしたい。

覚悟が必要なのは知っていて?
春を迎え、幸せになるためには覚悟がいることを。

見渡せばそこら中に息を潜め身を隠す希望たちがいるじゃない。
大きな声で「幸せ!」と叫びたい欲望たちも、
時折ヴェールを被って道の隅っこで目を伏せている。

この世の中には、花の種類ほど多種多様な人たち。

幸せになることを受け入れるものたちがいて、
恐れるものたちがいて、
創り出そうとするものたちがいて、
無心にかき乱そうとするものたちがいて、
恵みだと思うものたちがいて、
いささか罪だと感じるものもいて。


ねえ、春がもうじきやってくるの。
幸せを感じようよ。
それは、感じるもので説明するものではないんだから。

そうだ、新しい靴にでも履き替えたらどうかしら?
なければ、私の、貸してあげる。
優しい陽だまりの中を子供みたいに駆け回りたくはない?

きっと春しかない、こんなチャンスは。

そこら中に散らばった音符の1つ1つを拾い集めるチャンス。

あなたの、私の、家族の、友人たちの、隣の家の子の、
山の反対側の彼らの、海を越えた彼女らの、
狂気に魅せられた瞳たちの、愛を乞うものたちの、
奏でる音符はまるで違うんだもの。

それらを五線に乗せたなら、やっぱり響くのは不協和音?
ハーモニーを奏でる事は出来ないの?
誰も完璧なんて求めはしないでしょう。

彼らはもう既に出来上がった和音を奏でている、
あまりにも巧妙に組み込まれ過ぎている、
譲歩の余地もなく鳴り響いている、
だけど独創性には欠けている。

って、皆がそこら中で呟くの!

何が正しくて何が間違い?
それぞれがそれぞれを信じ込んでいる。
右を指すものもいれば、左を指すものもいる。
ゴールを目指すものもいれば、始めから漂うだけのものもいる。
答えを導こうとするものもいれば、
それ自体が馬鹿げていると言うものもいる。

季節は移り変わるのに、一体どこに向かうのかしら。。?

自分の位置を把握するのにすら少々時間がかかるみたい。
道行く人に聞いてみようとも、誰もが忙しそう。
地図を無くして道に迷った旅行者に
気に留める人たちだってそうそう居やしない。

お金を払えば、こんな会話の相手を誰かしてくれるかしら?


ああ、私のこのコージーコーナー。

もう最後のトラックもエンディングに差し掛かっているところ。
i guess i'll have to hang my tears out to dry
だなんて、タイミング良すぎ。

もう一度リピートしようかな。。

山積みにされたCD。
空にプカプカ浮かぶ雲を見つめながらいつだってこんな風。

居心地が良ければ良い程、
幸せであればある程、
素直にそれを受け入れらないのは、
何か後ろめたさを感じるのは、
それが春だから?

「春ですからね〜。」
だなんて、どうか気安く言わないで!

それにしても・・春が来るっていうのに、
まったく君はどこにいるの?

実のところ、春を迎えるのに一人じゃ心細いの。
君からの助けも必要としているっていうのに。

春が来る。
今、嬉しさと、不安と、もどかしさの狭間で立ちすくんでいるとこ。

それでも、希望をもつことは罪ではないでしょう??

サクラがサクラ色に色づく頃、
スミレがスミレ色に染まる頃、
空が空色に輝き始める頃、

春の匂いがする。

小さな春よ。
さあ、怖がらずにやっておいで。

目に見えない羽衣を追いかけるように、
一緒にそっと春を待とう。



22 Mar 2015

「例えば、、リボン。」


「忙しいんだよ。」

と、くるりと背中を向ける君。
どうせ構ってもらえなくたって結構!
ちっちゃな時から一人遊びはお得意さまだし、
それは大人になった今もそう。

少し拗ね気味に始まった週末は、
三晩も続いた悪夢のせい。
おまけに今でも左の首はひどく寝違えている。

窓を開ければ今年一番のうぐいすの鳴き声が響き渡り、
「陽気過ぎるじゃないの!本物なの?」
なんて、ひねくれ状態。

ありもしない夢の中の君の態度に、
午前中までは大分打ちのめされていたけれど。。
きっと午後からは大丈夫。
いつもより濃いめに入れたコーヒーで
「私だって忙しいの!」
って、忌まわしい悪夢たちにサヨウナラするの。
大事なのは今ここにある現実なんだから!
と強く自分に言い聞かせて。

とりあえず、デスクの脇のスケッチブックを開く。

「こんな一人っきりの“空き時間”を理想の世界で満たす、
一冊のスケッチブックがあればいいんだもの!」

くどくどとした理屈を自分なりに並べてみたものの、
まだ少々ご機嫌斜め。

だけど、一旦「例えば、、」が始まれば問題ないはず。
何かに打ち拉がれていたら、何かを生み出すことで救われる事もある。


スケッチブックの中は沢山の「例えば、、」が詰まっている。
あらゆるアイデア、ひらめき、情報、間違い、矛盾が混在するところ。

それらをペン一本で好きなだけ収納できて、いつでも持ち運び可能。
性能面ではAppleに負けるかもしれないし、
カギさえかけていないけれど、
ダイヤモンドのついたゴールドのネックレスよりもずっと貴重品。
全てのクリエーションの始まり。

さて、時間をちょっと巻き戻して。。

月曜日。
向かったのは蔵前の問屋街。
細々とした材料を必要とする製作者たちの中には、
きっと私のように、週末を早く終わらせて
問屋さんの営業が始まる週明けを楽しみにしている人がいるはず。

今週取り組んだ作業はリボン選び。
そして、リボンと言えばMOKUBA, maid in Japan!

初めて来たのはもう20年くらい前だったかな。
中学生の頃、母親に連れて行ってもらったっけ。
その頃はビーズやらリボンやらが大好きで、机の引き出し一杯になるくらい集めていた。
とにかく一番良いものが欲しかった。
ベルベット、シルク、ゴブランにアンティークレース・・
美しいものを見ると目だけが肥えていく。
何時間も迷いすぎて決められない私に、
「全部買えば良いじゃない!」と太っ腹な母親。
今思えば、本当に生意気な中学生!


お店のウィンドーも美しいMOKUBA。
ここでのリボン選びはまさに夢の時間。
15時には切り上げるって決めてたのに、もう!

だって、ここでもやっぱり、
終わりの無い「例えば。。」が始まってしまうから。

配色、手触り、幅、光沢感。。

リボンの魅惑にはまってしまったらもう大変!
ただの細長い布切れなのに、なんだってこんなにも心を射止めるの?

何でもないボックスにちょこんとリボンがつくだけで、突然特別なギフトに変わる。
リボンがもたらす喜びの魔法は、
子供から大人までがいとも簡単にかかってしまうみたい。
きっとこの世で最も素朴でピュアな仕掛けね。
まさに魔法の布切れ!

だからリボンの需要が続くことは、なんだか嬉しい。

日本が生み出す魔法の多くは、どこか素朴で控えめで
だけど暮らしの中の人の心情の部分に添うものな気がする。
きちんと頭と心のバランスのとれたデザイン。
この国の本来のテンポを感じられる商品が好き。
モノの本当のクオリティーは、
無理強いしなくても、ちゃんと伝わり拡がっていくと信じている。


さて、袋に詰めたサンプルたちを持って家路に着こう。


テーブルに広げたリボンの束たちを目の前に、
一人「例えば、、」の連続。

「例えば、、これとこれを組み合わせてみたり。。?」
「例えば、、この幅のこの長さで切って結んでみたり。。?」
「うぅーん。。例えば、、やっぱり違うか。。」

まるで気のぴったり合う友達とのおしゃべり。
その会話が何時間にも及ぶ理由の1つには、
こんな「例えば」で始まる未来形の言葉のやりとりが飛び交うから。

「例えば、、」はアイデアを膨らませる言葉。
「例え話」が多ければ多い程、
クリエーションのイメージは拡がっていくもの。

フワフワとして形のないものに分かりやすい筋道を立てながら、
目の前の霧に隠れた道を少しづつ発見し歩いていく。

「例えば、、」

とまた続き。

ラッピングの第3幕は、こんな1人呟きで溢れている!






15 Mar 2015

“おまけ”とラッピング。



「これ、おまけね。」

と言って、アメ玉を1つだけポンと袋に入れてくれたり、
キラキラ光るステッカーを一枚余分にひょいっと足してくれたり、
花を買ったら帰り際にガーベラを一輪だけそっと手渡してくれたり、

そんな何気ないコトでその日がとてもラッキーな日に感じることがある。

“おまけ”がもたらす喜び。
嬉しい不意打ちはまるで流れ星を見た時と同じ気持ち。
それはいつも思ってもいない品物で
必ずしも自分が求めているものではないけれど、
一瞬にして何か特別で素敵なギフトに変わることもある。


今週はこんな思いに少し浸っていたような、、
そして少し疲労困憊気味。
だって、あらゆる思いをぎゅっと詰め込んだから。

一体何のこと??

そう、先月にスタートしたジュエリーブランド
「ポエティーク」のための包装のこと!

サイトも既にアップしたし、本当だったらもうとっくに決まっているべきものの、
「ま、いいや」の延ばし延ばしでこの始末。
そんなところもなんて自分らしいんだろう。


先日、友人から貰ったmokichiのコーヒー。
“Blend Rouge Blend"と書かれた袋からは
もう既に夢のような良い香りが漂っている。
それにゆっくりとお湯を注ぎ入れたら、さあ始めよっか。

大きくて繊細なプロジェクト。
これがどれだけ重要だと言うことをずっと心の奥で知っていた。

時間をかける作業には必ずそれなりの理由がある。

“おまけ”がもたらすような素敵なサプライズ。
そんな魔法をどうしてもかけてみたくて。

第一幕。
それはお待ちかねの紙選び。

全てのデータをUSBに放り込んでとりあえず身支度し
お決まりの場所でちゃんと腹ごしらえをしたら、
迷わず竹尾ペーパーのショールームへ!

ここに来る時はいつも小雨だ。。
青山の静かな住宅地の中、この雨がこの訪問を
一層厳かな儀式のような気分にさせるのも、
何か意味があったりして。

この静かな空間ではあらゆる種類の紙を手に取れるから
時間がいくらあっても足りない。
ここで一日は過ごせるな。。
静かに夢中、、ってこういうの。

紙は本当に美しい。
色、厚み、触り心地で随分と雰囲気が変わる。
そして、どこまでも想像力を沸き立てる。

う〜ん、これもいいし、あれもいい感じ。


でも何故か手に取るのは全て日本の紙。
「里紙」「みやぎぬ」・・・
それから自分の求める色合い、
それらはやっぱり日本の色にあるらしい。
「古染」「かすみ」「くるみ」「うす鼠」「わら」
日本語の美しい響きをこんな所で口にするのがなんだか嬉しくなる。
きっと、これらの中に魔法を生み出す何かが潜んでいるはず。

そうこうしているうちに時間はどんどん過ぎていき・・
優柔不断な自分を無理矢理押し切って、
とりあえず試作分を手に入れる。
何事も集中力が切れる前に!が肝心でしょ?

アトリエに戻ったら第二幕。

切ったり折ったり、貼ったり重ねたり、
色々とやってみる。
ちょっとグラフィックデザイナーにでもなった気分で、
いつもとは違う感覚を使ってみれば
そこには面白い発見と新しい着眼点が生まれるもの。


試してみたのは、「重ね」。
それは着物のように、日本人の美意識が生み出してきた業。
どこまでも美しいものへの感覚を研ぎ澄ましていく“訓練”のような
なんとも奥深い教養を身につけるような
そんな時間を紙と共にひとり過ごす。

一つ一つの作業に意識を向けることは時間がかかる。
でも、そこには何か深く神聖な時間が流れていて
一瞬一瞬の価値の重さを体感出来るみたい。

そう、時間をかけて選び、練って、挑むことはとても愛おしい。
その途中段階では薄いヴェールに包まれているように
外側からは時に時間が止まっているかのように思われるけれど、
内側では絶えず動いている。

一番良いもの、納得のいくものを生み出したいという思い。

丁寧に、丁寧に。

ゆっくり進めばいいじゃない。
急ぐ必要なんてどこにある??
健やかな達成感はそうやって得られるものじゃないかしら?

自分が描きたい世界に続く細く見えない階段を一段一段、
セメントでしっかりと象っていく。
目に見えないものから「形」あるものへ。

そして第3幕へ。。。

to be continued..






1 Mar 2015

colour me marble.


毎日ほとんどが寝坊がちなこのからだ。
だけど今朝は結構早起きして
いつもと違う場所で朝のコーヒーを欲しがっている。
連日の寒さに身体のあちこちが痛むけど、
妙に清々しい気分。

気がつけば今日から3月。
春に向かうための見えない絨毯が目の前に敷かれたみたい。

サクッとバスに乗って数ストップ先のあのカフェまで行ってみようか。
ぱらつく小雨に、傘をさすのも億劫だから少し速足

いつものパソコンもスケッチブックも持たずに出てきたから、
バックの中はほとんど空っぽで。
うっかり忘れてきたんじゃない、業と忘れた振りをしてみた。
そんなことは十分承知なのに
朝のカフェの席でのこの手持ち無沙汰を、
諦めてただボーッと過ごす。
そんなやるせなさが
今日は都合の良い言い訳になる。

雨の日の朝のカフェが好き。
特に10時までの時間がお気に入り。
まだ人気のない店内で、程よい音量の話し声が辺りに響くから、
さっきまで見ていた夢のちょうど後半をもう少し見ているような
不思議な気持ちにさせてくれる。

見渡せばそこには様々なお客達。
常連さん?
Macを持ち込んだクリエーター達の朝のミーティング。
その横でマダム達の気ままな世間話。
ひとりiphone片手にフェイスブックをチェックする若い女子の隣では、
歳とった白髪のおじいさんがutubeに夢中になっている。

そんな中で、私はただボーッとして過ごす。


最近はこんな時間が贅沢で愛おしい。
ロンドンでの学生時代は、本当に良くボーッとして過ごしていた。
こんな風にカフェで。
1人の時もあれば2人の時もあって、制作の合間のほんの一息のつもりが
長丁場になることが殆どで。
そうして些かの罪悪感を持ってアトリエに戻る。

だけど、知ってるの。
あの時も今も、きっとこれからも。。


目的も理由も意味もないただ「居る」という感覚、
それのみを確かめる為のここは最良の場所だということを。

ヨガでも瞑想でも得られなかった、ここでのこうしたいわゆる“白”い時間。
いや、“白”というよりはもう少し“茶色”を含んだマーブルカラー。
カフェラテのフワフワの泡の中で、
少しの苦さと欲望が入り交じったようなそんな色。

だって、こんな清々朝にビリー・ホリデーなんかが
BGMで流れているんだから!

シミひとつないコットン100%の真っ白いシーツよりも、
皺だらけの洗いざらしのリネンをあえて選ぶような
そんな心地よい不完全さにどうしてもそそられる。

間違えたり、失敗したりを繰り返して得たものの中には、
何か特別な“特典”のようなものが潜んでいるような気がして。

それは手作りが生み出す柔らかさにも少し似ていたりもするのかな?

さて、そろそろ10時過ぎ。
今日のミッションをやり遂げるエネルギーは充分得たみたいだし、
今からはもうひとつの夢の作業へ。。

good morning world!