4 Oct 2014

ジャック・ドゥミ&ミシェル・ルグラン



ジャック・ドゥミがくれたもの。

芸術に生きる歓び。

夢を見てもいいということ。

ファンタジーはそこら中に散らばっていて、

形になるのを今か今かと待ち構えていること。

それはちょうど、地面に落ちたスパンコールが

太陽の光を反射してキラキラと輝き出すのと同じ。



ミシェル・ルグランがくれたもの。

感情の波の素晴らしさ。

その一揺れ一揺れが音符となってメロディーが生まれ、

言葉のないダイアログを話し始めること。

そしてちょうど、ジャズの軽快さが

雨の日を特別な日に変えてしまうように、

閉じた心をいとも簡単に開かせてしまう。



ジャック・ドゥミ&ミシェル・ルグラン。

最高の美学反応。

大学生だった頃、

彼らの作品を初めて見た時の感動は一生忘れない。

しばしば強ばりがちだったマインドは

水蒸気みたいに軽くなって上のほうへと浮遊していった。

「あぁ、なんて素晴らしいんだろう!」

溢れんばかりの色、映像、音楽が

彼らの感性を通って世界を歓びで満たす。




行き場を失ってふさぎ込められていた感情の塊が

ラッパの音と一緒に一気に外の世界へ吹き出した。

気づけば嬉しさのあまり涙がぽろぽろ、ぼろぼろ。。

そんな自分自身に驚いたけれど、

感動の涙は一番美しいと気がついた。

“アート”という意味を持たない言葉に

一気に命が吹き込まれるのを感じた瞬間。

「私は欲しかったのはこれだ!」

と確信した瞬間。

まるで大きな花束を腕いっぱいに受けとったような

そんな歓びに満ちあふれた瞬間。



コンセプトばかりを追い求める毎日の中では

時に頭がショートしてしまう程疲れ果てて、

人生の影の方へ引き込まれがちだけど、

彼らの作品に触れると、

悲しみや憂いさえも美しい色に染まって

朝日で目が覚めたように

もっとずっと明るい方へと導いてくれる。

そして、「YES」が全ての答えになる。

まるでお菓子をもらった子供に戻ったみたい!

嬉しくてたまらなくて、“喜ぶ”ことに夢中になって。。

自分に対して他人面だった“アート”が

「美しかったらそれでいいんだよ」

と軽く囁いたあと、

「仲良く手をつなごうよ!」

と手を差し伸べてくる。

そんな感じ。


「アート」という言葉。

それはいつでも空っぽで在ってほしい。

「種も仕掛けもございません!」

というマジシャンの言葉通り

何のカラクリもない空っぽのボックスなら、

夢と感動を好きなだけ沢山閉じ込められる!

そうしたら、自分はその空っぽな「アート」という箱に

どれだけの夢を詰められるんだろう?

観客が私の箱を開けたら、白い鳩が飛び出す?

それとも、

目に見えない感動のスパークルがそこら中に舞う?

詰まるところ、

「信じるか信じないかはあなた次第!」で幕は閉じるもの。

だから、自分を信じてやってみたい。


人の感情はたまに厄介で

笑ったり怒ったり、泣いたり、どうしようもなく落ち込んだり、

時に壮絶なドラマを生み出すけれど、

それは何かを生み出すエネルギーで特別な力を持った魔法のツール。

だから絶対に失いたくない大切なもの。

もっともっと感動が欲しい!

感動することは、理由なく価値があることを

時と文化と言葉を超えて

ジャックとミシェルが教えてくれる。

merci beaucoup. 





23 Sept 2014

“枠”と“型紙”


あぁ、今年の夏も終わりね。。」

病み上がりのフラフラとした足取りと
まだ夢うつつ状態で座るデスクの前でぼーっとそんなことを思ってみる。
熱で潰れた週末の秋晴れはこの上ない後悔を残すけれど
どこか満足気。

ちょっと無理をした行動の結果は
こんな風にちゃんと自分に帰ってくるんだな。
まるでピンポン球!

*

天気予報によると風向きが変わったらしい。

そうして届いた次のミッション。
新しいプロジェクトを始める時は
空っぽのポストを覗き込むと届いている
真っ白な封筒を手にするかのように胸がわくわくする。


封筒を開けると、
あるひとつのお題がひと言だけ記してあって
これから拡がるストーリーになんともいえない興奮を覚える。
まるで謎解きに挑むシャーロックホームズ、
ひらめきと推理が交差する心弾む瞬間。


そして今回もその封筒は開かれた。
記されていたその言葉は、、

“型紙”

シンプルで未知、
自分の思惑を今度も軽く外させられた!
くるりと向きを変えて吹き流れる季節風のような、
そんなお題。

“型紙”
え、でもちょっと待って。
私の描くひねくれた線を“型紙”にする?!
どうやって?

自分の線は呼吸そのもの。
だから一瞬で自分の呼吸を止められるようなもの。
ショックと共に一気に体温が上昇する。

だって型紙と言えば・・・

洋裁のパターニング、
紙の着せ替え人形かなんかのミシンの線。
なぞってハサミで切り取って、、
そんな作業。
だから、もっぱら分かりやすくて
伝わりやすい線が必要条件
だから枝のように絡まり合うこの線を1本にしないと!


 


 


焦りと戸惑いにほのかに熱い額がさらに熱くなる。
そろそろ危険信号?

慣れないマジックペンを手に取って
何度も何度も描き直す。
なのにいくら描き直してもまっすぐにならない。
太いところと細いところが微妙に残ってしまう。

面白いことに、自分の描く線は
この生まれつきのくせ毛のうねりとそっくりだ!

さあ、どうしよう。。
この“枠”をどうやって乗り越えようか?

自分の中の葛藤は誰にも救えない。
突然突きつけられた決闘書は若干の笑みを浮かべながら
無慈悲にも目の前に立ちはだかっている。

“ルール”とも言えるこの静かなる“枠”
妥協ととるか、チャンスととるか?

(そりゃ、チャンスでしょ!)

どこからか聞こえてくるその声の主は
まさしく自分自身で。

切れる寸前にスイッチが入るヒトの楽観的思考の不思議は
またもやこういう場面で発起されるらしい。
だって、
今さら気取ったペサミストの振りをしてる時間なんてないじゃない。
締め切りの向こう側で
旗を振って待っている人たちがいてくれるのに。

そうやって自分の中のオプティミズムを
今こそヨイショと引っ張りだして
その“枠”と戯れてみることにする。

そして、その延長線に見えてきたのはこんな答え。

(ふーん、線がダメなら色で遊んでみようか。。
あとは質感と立体感と。。
あれ? これってジュエリーデザインっぽい。
なんだ、デザインイラストだと思えばいいんじゃない!)

すると急に心が軽くなって、
同時に自分でこしらえてしまっていた“枠”に気づく。


知らず知らずのうちに、“絵を描く”ことと“デザイン”することを
ぷっつり分けてしまっていたみたい。
こんなにも密接な関係にあるはずなのに。
同じ棚の違う引き出し。
探しやすいのに、探せずにいた。
きれいに整理整頓することは
たまにこんな罠を自分に仕掛けてしまう。。
なんて皮肉なこと!

デスクの上はいつもくちゃくちゃなのに、
無駄にキッチリと整理されすぎていた頭の中は、
どうやら見えない“枠”だらけ!

忙しくて時間がなければないほど、
行き交う情報が多ければ多いほど、
見えない“枠”
忘れてしまわないように?
見落としがないように?
それとも、
物事がごちゃごちゃになる前に
ある程度の強制力を持ってコントロールしておきたいから?

そんな風に“仕分ける”だけの“枠”なら、
制御する為だけの"枠”なら、
たまにはとっぱらってしまった方がいい。
物事を簡素にくくることはそんなにも賢くない。

この社会で設置される色々な“枠”も然り。
性別、年齢、国籍、職業等。。
これまた頑丈でびくともしない“枠”の数々!
それらは簡単には撤去できるものじゃないけれど、
抜け道はいつでもどこかにあるはずで。。

例えば・・
それらの“枠”の中でどう遊ぶか。
どのツールに変換して
どんな線の絵を描くのかに少し似ている。
“枠”が与えられて、
自分の中の創造性がより活発になっていくイメージ。
頭と心を駆使しながら
本当の“自分らしさ”を見分けるチャンスかもしれない。

必要なのはきっと、
思考回路の変換とアイデアとちょっとの忍耐!
どんな状況下でも自由に泳いでいけるように。


*


今回届いた“型紙”というミッション。
それは、自分にとって予定外に吹き出した季節風みたいで
ポンと背中を突かれて、
ボーダーラインの向こう側へ一歩押し出された気分。

絡まった毛糸の玉を注意深く解いていく作業の途中では
いらつきを感じたりもするけれど、
いつしか楽しい作業に変わっていたりもする。

そう、困難だけど夢中になってしまうことには、
いつでも新しい発見がついてくる!

こんなわくわくする風が好き。

次の新しい白い封筒はいつ届くかな。。







10 Jun 2014

Scent of a Life...





「今年はどれにしようか?」

6月の今日は誕生日。
この頃になると自然と頭をよぎる
重要な行事のひとつ。
それはとても個人的な、
そしてもはや今では儀式的にもなりつつある密かな楽しみ。

そう、それは新しい香水を見つけること!

そんな訳で6月の休日は専ら街中を香水ハンティングする。
何をする訳でもないのに忙しい。
女友達を誘うけれど、それはどこまでも個人的探求作業。

そういえば昔、デパートの片隅に小さなカウンターの香水屋さんがあって
学校帰りに母と一緒によく行ったっけ。
好きな香りを調合してくれるとても小さなお店。

「これ好き、これ嫌い!」

幼いながらにも、真剣に自分の好きな匂いを探した記憶。
スイカズラなんて名前を初めて聞いたのもその頃。
香りよりもなんとなくオシャレなその響きが好きだったりして。
”Emotion"と書かれた小さな三角形のガラスの香水瓶に
少しヨーロピアンに着飾ったおばさんが
手際よくスポイトで詰めてくれた。

あれから何年。。今はどんな香りを選ぶだろう?

それが私の香水の始まり。


学生時代のディプティック、
あの頃はとにかくジャスミンが好きだった。
それから、エルメスにヴァンクリーフ、
キャロンの「Fleur de Roccaile」
アニックグタールの「Eau de Camille」
ラルチザンの「Mure et Musk」に
フレデリックマルの「Portrait of a Lady」
なんていい香り!
だけど、これはまだ手を出さない。
まだとっておきたい憧れの香り!

飽きっぽさで有名な双子座生まれは
様々な香りを試すけれど、
選ぶその一瞬一瞬は無垢な程に真剣で
いつでもそれが一生自分の香りになると信じている。

それも次の運命に出会うまで。。
これってまるで。。?

*


香りはその時々の自分の心情を移す鏡のようなもので
その旅は遠い過去までさかのぼる。

記憶を呼びおこす魔法の一滴。
例えばこんなもの。。

幼い頃に道ばたで摘んだ草花の
青さと苦さ、
祖父母の家の
隅々まで染み込んだ白檀の香り、
晴れの日に干したシーツ、
コーヒーで染めたスケッチブック、
北向きの部屋とその中庭から香る葉巻、
ひとり忍び込んだピアノの下、
(あぁ、今でも覚えている!)
ワックス掛けの階段、
屋根裏のドライフラワー、
潮、
サンフランシスコ、
鼻をつく安物のマニキュア、
コカ・コーラ、
アイロンで焦がしたシャツが放つ微かな甘さ、
雨の日の憂鬱なバス停と
蒸気で蒸しかえる満員バス、
苔、
蒼いアジサイ。。


行く先々ではその場所のその時間だけの香りがあって、
全て無意識に通り過ぎたはずだったのに、
こんなにも鮮烈に記憶に残っているなんて!


香水。
その香りを生み出した作り手の心情と
それを選ぶ側の過去、現在、未来が時を超えて交差する。
底には見えない特別な何かが生まれる瞬間。
アートに似た特別なコミュニケーション。

香りは鼻から脳に伝わると言われるけれど、
もっとハートに近い位置で繋がっている気がするのは、
人は感情を持つ動物だから?
その働きはとても繊細なのに、ウソがない。
使い過ぎた脳をだます感じ。
もしもハートに直に聞いたのなら、
綿密に組み込まれて計算された分析結果よりも
時に的確な答えを教えてくれるはず。



香りを選ぶ時間が好き。
自分の裏側を覗きこむような、とても奥深くて神秘的な時間。
それはまるで目に見えない絵画を堪能するみたい。

香りを表現するのも好き。
それには沢山の形容詞が必要で、
カメラのピント合わせみたいな作業。

脳と感情を同時に扱うそれは、とても知的な作業。

そして香りとは不思議なもの。
それ自体、感情を持たない代わりに
喜びやら悲しみやら、ストレートに感情に訴えかけてくる。
顔のない扇動者。
機転の聞いた言葉を綴らせて、
そして黙らせる。

香りを経験すること。
それは自分の存在を一瞬違う向きから観察する何かしらの手がかりであり、
その瞬間に確かに自分がそこに“在って”何かを感じ取ったという、
あるいは、
その時間と場所を経験したという揺るぎない重要証拠人。

そしてそこから学べることと言えば、、
この自分が実に見事に、ここまで生き延びてきたという
明らかで喜ばしい事実!


*


私にシャネルの香水は似合わない。
少なくとも今の私には必要ない。

「“違い”を知る感覚はいつまでもとても重要です。」

と先日出会った香水売り場の店員さんが言っていた。
なるほど。
好きなものが分からなくなったとき、
好きじゃないものを排除してみる。
うん、面白い導きだし方だな。


過去を振り返るのは好きではないけれど、
香りだけは別。
それはある意味、今の自分を造ってきた主成分たるものだから。
これから先に続く未来にもきっと持ち続ける。
香りに変わった過去の記憶が
自分だけのフォルダに保存されている感じ。
以前は目に入らなかった宝物が眠っているかもしれない。
でも反対に、
未知のものを試してみるのも悪くない。
新しい革命を自分の中に起こしてみる。

そう、全ては自分の直感に従ってみるだけ。



それにしても香りの隙間に通り過ぎる
その感情の流れには”漂う”という言葉がよく似合う。

あぁ、香りはどこまでも人生についてくる。
まるで影の目撃者のように!
香りは人の人生から切り離せない。
だから、今年も香りと共に誕生日をお祝いしよう!

さあここからは、自分探しよりも自分創りの方へ!


Happy Birthday to who I a'm going to be!!






4 May 2014

"The Beautiful"




休日の午前8時。

近所の子供達のキャッキャッという遊び声に起こされて
まだ浅い眠りに浸かっている体の半分をベッドに残したまま、
ゆっくりと起き上がる。

あぁ、これが“休日”のしるし。

カーテンを開けて窓も開けると、
健やかな風にさっきの子供達の遊び声がより身近に
ずっと現実を帯びて響き渡る。



庭先の小枝が今日も風に揺れながら
なんだかとっても楽しそうに
「おはよう!」
といち早く朝のごあいさつ。

5月の朝はこんな感じで気持ちがいい。

春が去って、夏に入る前のワクワク感。
ちょうど運動会のリレーでバトンを渡される瞬間の、
あの緊張感と胸の高鳴りに似ているような。。

植物たちも高い太陽の光を浴びて
待ちきれない様子で高く高く、
空の方へ頑張って背伸びをしている。



「やっと私の出番!」

とでも言いたげなツツジの花が
誇らしげにいつもの坂道を覆い尽くす。

あぁ、
その色が眩しくて美しくて、痛いくらい。

昨日はあんなに強風でご機嫌斜めだった癖に。
今朝になったらもうこんなに上機嫌で、
まったく!

でも彼女の美しさには勝てない。
”は何よりも私の心を溶かしてしまうから。。





届いたのは今、三菱一号館美術館で開催中の
The Beautiful”展への招待状。
今日の私の気分にちょうどぴったりなのは
さて偶然か必然か?



19世紀後半に始まった英国の唯美主義。
物質的な豊かさだけでなく、
生活の中の“”の重要性を唱えた芸術家たち。

そこにはなんのコンセプトも理由も要らない。
唯、美しいこと。
”がそこに存在するということ。
それだけ。

色彩が生む“
フォルムが生むバランスの“
女性、子供、花が与える“

人の“”の基準はきっと千差万別で
一言で定義するのは難しいけれど、
国や文化、時代を超越した“”はきっと存在する。

視覚的、聴覚的に心を溶かしてしまうもの。
人を動かす喜びの原動力!
その繊細で柔らかな女性的な感情は
いつでも優しさを帯びているから決して誰も傷つけないはず。


だから“”は強い。

武器を持たない力。
言葉のない説得。
持続への挑戦。

先人達がこの日本にもたらした“”の中には
他の国にはない優しさが溢れていて
本物の“”を見極めようとする姿勢は“”に対する敬意すら感じる。
それは、彼ら真剣に向き合ってきたもの。

そう、“”と向き合うにはそれなりの勇気と決意が必要なんだ。

複雑な社会の中で人は
物事の背後に隠されたメッセージを探し、
スピードを持って答えを出そうとするけれど、
本物の“”は慌てなくたって消えたりはしない。

だから一旦立ち止まって、
ちゃんと目に映るもののみを信じたら
物事はもっとシンプルなのかもしれない。

だってもしかするとそこには、
ひとかけらの謎も存在しないかもしれないのだから。

本物の“”。
私たちがそれを追い求めることは
きっと何よりも高貴で素晴らしい。

いつでも本物の“”を見分ける才能を磨かないと!



さぁ、今日はまだ午後3時過ぎ。
こんないい天気にはいつもより外に近い席をとって
シードルで乾杯!

「Cheers for our Beautiful Future!」






5 Apr 2014

Back to an Artisan



 一昨日の雨に昨夜の風、
そして今日の気まぐれな天気雨。
春の嵐は去ってはまたしつこくやってくる。
長い冬から春に変わる季節はとても不安定でまったく予測出来ない。
そのおかげで、、
私の中の何かが激しく揺さぶられる。

これって何だ?
ふん、本当は知ってるくせに知らない振りをしてみたり。。

そう、それは年の始まりに掲げた一年の目標やプラン。
「あれ?一体あなたはいつ始めるつもり?」
もう何度自分に問いかけたか分からない。

そうして私の置き去りにしていたプロジェクトは
紛れもないジュエリーの制作

だって、ジュエリー制作って本当に手間がかかる!
この小さな部屋の片隅に小さなスペースを作って、
用意するものはピンセットにペンチやプライヤー、
それから何種類ものヤスリに糸鋸にバーナーに。。
便利な道具を揃えようとしたらきりがない。
手は痛くなるし疲れるし、
それに、
普段発揮しない集中力と忍耐力という
ある意味、自分の中のずるさに直面する羽目になる。
あぁ、面倒くさい!

慣れ親しんだツール達もすでにホコリを被っている。

でも、もうそんな言い訳も聞き飽きた。

滅多に口にしないコカ・コーラを飲んで
「ふぅっ。。」と一息ついたら
さぁ、始め!

*


気がつくとすぐにデスクの上がくちゃくちゃになる。
だからいつもツールを探すはめに。


これは“第3の手”と呼ばれるピンセット。これは本当に助かるすぐれもの。


こちらはロウ付けに使う耐火ボードたち。
良く見ると蜂の巣状に穴が開いていて熱を逃がしにくい(らしい)。


そして最後の酸洗いは“ピックル”と呼ばれる液体のなかにポイッ。
ここで使用中のフタは一時しのぎでとりあえず見つけたもの笑。

*

先日、画家の友人が言っていた。
「好きなものこそ真剣になるから本当に疲れる。
精神的にも身体的にも気合いが要るし、手を抜けない。」

いつの間にか奥の方へと仕舞いかけていた
やりかけの“情熱”という作業。
“情熱”は本当に面倒くさい。
手をつけてもつけなくても
いつまでも追いかけてくる。
一体どこからやってくるのか?
興味がなくなったらどんなに楽か、なんて考えたり。
たまに‘嫌い!’って思う裏には
やっぱり‘大好き’があるのも知っている。
だから、やっぱり納得するまでやるしかない。

4月。
既にもうちょっとだけスロースタート、
でもまだ遅くない。
だけど今始めないときっと後悔する。
そんな気持ちになる月。

だから私はまた不器用な職人に舞い戻り。
少しだけ雲の隙間から光が差し込んだような不思議な気分。
今度こそもう奥へとは追いやらない!

さぁて、今夜は何に取りかかろうか。。


- good night -




20 Mar 2014

Lillian Bassmanの仕事


「3時にCHANELの前で」

そしていつも通り10分の遅刻。
大丈夫、きっと許してくれるはず。
気の置けない女友達との待ち合わせは、
私の甘えた心の証拠。

楽しみにしていたリリアン・バスマンの写真展が先日始まった!
今日の私たちのレッスンは“エレガンス”になることは間違いない。


  彼女の撮るモノクロの世界。
光が白で影が黒。

たったそれだけなのに、どれもハッとさせられる作品の数々。
全ての構図がどれも美しくて完璧なバランスに
まるで絵画を見ているような不思議な感覚になってしまう。

自らが生み出す“エレガンス”もあれば、
他人に見いだされる“エレガンス”もある。
その証拠にバスマンの審美眼。
エレガンスを捉える魔法の目。
私は彼女の目を、感性を持ってみたい。

ただの被写体をアートに変える魔法。


暗闇から人の頬骨だけが浮かび上がって
その人の存在をそっと明かす。
余白に眠る何者かの、静寂の中の息づかいを感じる。
だから少しミステリアスで魅力的なんだ。

“美”を捉えて“エレガンス”を引き出せるそんな技に
どれだけの努力と研究を重ねたのだろう。。


モノクロ写真や映画が好きな理由、
コミカルなものもシリアスなものも
全てがスタイリッシュな感じがするから。

でもそれだけ?
ううん、それだけじゃない。


惹かれているのはそこから浮き出る内側の世界。

色を消し去ると見えてくる。
目に見えない引力か何かの法則が働いて人の想像力を刺激する。
不思議なもの。
何かを制御すると何かが働きだす。
ほら、明かりを消すと音が集中してより良く聞こえるみたいな。

“全てを明かすな!”っていう声が聞こえてくるみたい。

きっと“エレガンス”とは、
最低限のもので明かされる
本質の“美”。

なんだか急に自分の絵から線を消したくなった。
複雑な線は全てを明かし過ぎる気がして。
一本、また一本と今すぐに削り落としたい、そんな衝動にかられてしまう。

そうしたらまた新しい何かが見えてくるかな?

thank you Lillian!



↓こちらinfoです。ご興味のある方はぜひ! 







11 Mar 2014

Heart of Glass



久しぶりに何にも予定がない月曜日。
アラームはセットなしで、気づけば10時半をとっくに過ぎてる。
世の中の多くの人たちにとっては嫌でも気が引き締まる日なのに。
なんて贅沢な一週間の始まり!

ふらつく足取りでキッチンに向かうと、
真冬の空気の冷たさに一気に目が覚めた。

「あれ?春はやってきたんじゃなかったっけ?!」

優柔不断な自分のごとく、春は行ったり来たり。
ふらりふらり、なかなか居場所が定まらない。

ソファに投げられたガウンをとっさに羽織ってとりあえず火を湧かす。
冬の朝のこんな朝支度が好きだったりして
コーヒーをすすりながらとりあえずぼーっとする。
これが必要。
それから雑誌をめくってみたり、
読みかけの本を2、3ページ読んではまた閉じる。
飽きっぽいから一気に読み終えることはまずない。

ふとテーブルの上に立てかけてあった一枚のDMが目に留まった。
ガラス作家の友人Tさんの展示会DM。

「そういえば、いつからだっけな。。?」

「あ!今日からだ!」

*
東京駅から歩いてすぐ、京橋辺りは今では古美術のギャラリーが
ずらりと立ち並んでいて歩くだけでも楽しいエリア。


鮮やかな色をしたガラス作品の数々。
それぞれ重さや形が違ってなんだかほっこり。

「どれにしようかな。。?」

可愛らしい作品たちはどれもニコニコと笑っているようで、
本当に作家Tさんのそのままなのがなんだか嬉しい。


今回お持ちかえりした箸置き3点。


キャンディーみたいに小さなガラスの子供たち。
手に取るとずっしりと重さがある。


光を握るとこんな感じかな。。

自分にはない鮮やかな色彩が
心に絡まった糸をスルスルと解していくように
複雑な心模様をリセットし、同時に軽くもしてくれるようで。

夜、「お嫁に貰ってくれてありがとう」と、彼女からのメール。

人の手から生み出されるものはその人の感性の賜物。
だから、大切に大切に受け取りたい。

そう言えば昔、、
“heart of glass...”なんて歌があったな。

Once I had a love 
and it was a gas
Soon turned out 
I had a heart of glass..

‘ガラスの心’って言うと冷たいイメージだけど
果たしてそれは本当?

ピュアな人ほど傷つきやすい。
光をいっぱい通すからそれだけ屈折も多い。
地面に落とせば一瞬で粉々に割れてしまうように、
ガラスの心の持ち主って実のところ、
壊れそうなほど純粋でウソのない人のことだったり。


だってほら、
こんなにも光をいっぱい取り込んで自分色を放っている。


なんか魔法の石ころみたい。
‘これを身につけると透明人間になれます’
なんてね。。

色はあっても常に透明でピュアなハート、
時には頑張るのは止めて
透明人間みたいに軽くなるのも悪くないな。

次は水彩や墨を使って
ガラスのように透明感のある絵を描いてみよう。


- good night -