15 May 2015

5月、ハレルヤ。



部屋中の窓を開け放つと流れ込むそよ風が
窓辺のローズマリーの香りも一緒に運んでくる。
そんなんじゃ、昼下がりの仕事も一旦中断してちょっとだけ
ベッドに横になることもきっと許される。

10分だけ。

頼りない自分との約束。
今頃、随分な骨折り作業に没頭している君に対して
どこか後ろめたくはあるけれど。。
ほんの10分だけ、いいでしょう?

「ハレルヤ、ハレルヤ!」

いつもはラジオなんて聞かないのに急につけたくなる時がある。
ほとんどは、iTuneに入った音楽の中から聴きたいものが見つけられない時。
そして今日もそんな日。

インターナショナル系列のラジオ局から流れたのは教会の賛美歌と
その合間合間に響く牧師の説教。
何を聴きたい訳でもなかったし、
結局なんでも構わない。
このソワソワ感を紛らわせてくれるものだったら何だっていい。

午後3時。
だけどきっとあっちは真夜中過ぎか早朝のはず。
こんな地味なラジオをこんな天気の良い午後にひとり部屋で流しているなんて、
一体どんな奴だ??
って下の住人に聞こえたら、きっと思うかも。

風がさぁっと部屋を横切る。

生温いフランス語の響きがちょうど良い子守唄に変わる頃、
洗い立てのシーツに顔を埋める。
そう、子供の頃よくしたようにその穏やかな匂いを肺一杯に吸い込む。

これが“太陽の香り”だと信じきって。


「ハレルヤ、ハレルヤ。。」

聖歌隊たちは唄い牧師は熱心に何か唱えているけれど、
何を言ってるのか分かんないや。
ただ分かることはある人は唱え、ある人はそれを聞き、
ある人は信じ、ある人は疑い、
その様子を見て
ある人は笑い、ある人は嘲り、
ある人は戦い、ある人は降参する。

言葉が何の役にも立たなかったら、あとは全て想像に任せるしかない。

こうやってふかふかのシーツに包まれていると、
大きな山のてっぺんにでも上った気分。
そこから数えきれない人々の行動を一枚の絵の中に見ている感じ。

「過剰な評価も感情移入もまったく意味がない。
今はそれをそれとして観察するだけで十分だ!」

って、私を説得しようとしているのはどこの誰?

「だって、今ここに在るのは自分しかいないじゃないか。
今、君はこの太陽の匂いに夢中なんだから!」とその声は続く。

長い休暇中に少し“緑”を吸い込み過ぎちゃったかな。。?
まるで自分の中に木の根が張って、
細い枝の先が上へ上へと伸びているみたい。
背骨を階段のように一段一段上っていく。


頭よりも先に夏に向かう中間点を体が感じ取っている。

もうちょっとだけ待って!
まだ未熟で準備が足りない。。
なんていった不安な気持ちを他所に
枝は太陽の光を浴びて毎日どんどん伸びていって、
私の身長を高く高く持ち上げる。

ちょうど、まだ読みかけの楽譜を前にメトロノームをセットされた生徒。
前にしか伸びない5線の上を、“つまずいてでも進め!” って言う
ピアノの先生の言葉が降ってくる。

沢山の準備と練習を重ねても100%にならない自信も、
とにかく前に進む事が大切だという教訓だったのかしら。。

思えば確かに最後には何とかなっている。

才能ではなく努力で立ち向かう物事には、しばしば自分の力の無さに落胆して
「やっぱり、才能には勝てない」って、ふてくれさることもあるけれど、
与えられた才能を花咲かすにも努力が必要だし、
努力を実らせることも人並みはずれた才能がいる。
いや、努力をし続けられることこそ才能なのかもしれない。
結局は同じ線上に立っている。

重要なことは楽器を弾き熟すことよりも、その曲を楽しむことだ!
そんなのも昔、先生言ってたな。。

練習や準備があまりに過酷だとそんな本質を忘れがちだから、
たまには訳の分からない外国語のラジオでも聞きながら
太陽の香りに埋もれてみるのも悪くない。

そろそろ10分。。

扉の向こうに必ず素晴らしい夏が待ち構えている。

5月、きっとハレルヤ!


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