22 May 2015

愛しいズレ。



まただ。。もう!

寝違えた首の痛みだけでその日一日のパフォーマンスが何かと悪くなる。
つまずいたり、忘れ物をしたり、
美味しいはずの朝食のパン・オ・ショコラさえ味気なくさせる。

イライラ、イライラ。

天気はこんなにもいいのに本当にもったいない!
どこにいたってつきまとってくるから逃げ場もない。

骨と筋がちょっと喧嘩して、お互いがご機嫌斜め。
そんな喧嘩に頭から巻き込まれているわけだから、、無理もない。

何かがズレている感覚。
こんなことってよくある。

朝の天気予報に踊らされて傘を持っていったら日が射し始めたり、
ウール100%のセーターをうっかり洗濯機で洗ってしまったり、
ほつれたコートのボタンをつけた後に数センチ場所が違っていたり、
必要な時に肝心な赤色の色鉛筆が見当たらなかったり、、


ただまっすぐ立ちたいのに、
あっちからこっちから引っ張られて上手くバランスがとれない。
「もう放っておいてよっ!」って言いたいくらい。
集中しようとも意地悪に、
小さなちょっかいを次から次へと出してくる。
何かと面倒くさいズレとの付き合い方。

心と身体は一つだって言うから、

「あなたの首は至って正常。何の支障もございません!」

って、繰り返し自己暗示を試みるけれど、
身体の不快感はなかなか手強い相手。
ビクともしない。

そんな中、心の中に住んでいた小さな不安たちが、
「今がチャンスだ!」と言わんばかりに、
一瞬を狙って外に出ようとする。
封印されていた扉が開く。
そのうち、大きなコブの固まりみたいになって両方の肩に乗っかってくる。

首のズレから引き起こされる心のズレ。
ネガティブ思考への急降下。

ダメ、ダメ!

涼しい顔の下になんとかバランスを保とうと必死な自分。
深呼吸でさえ、頑張ってする。
バランスこそがこの平均台の上では一番重要だと言い聞かせて、
その技も自分なりに習得してきたつもりでいたのに・・

「そろそろいい加減にしてよ!!!」

あんまりしつこいと最後は逆切れしてしまって、努力も全て水の泡。

自分を支えていたはずの命綱がそのテンションに耐えきれなくなると、
怒りと共に音もなくプツンと切れてしまう。
無理して留めていたとれかけのボタン、
ついに本日をもちまして終了。。みたいな。


さあ、どうしよう?!

そのまま真っ逆さまに下に落ちるか、
それとも、
新しい技かなんかを思いついて助かるか?

こんな修羅場では、バランスも何もあったものじゃない!
羽が生えていれば別だろうけれど、
そうだとしてもこんな緊急事態にはそそのことをきっと忘れている。

思考の柔軟性。
それに賭けるしかないみたい。
残りの冷静さを出来る限り寄せ集めて、
少々、無理矢理なくらいに頭を使ってみる。

「さぁ、頭を使ってこの状況自体を3Dにイメージしてみましょう!」

自分に言い聞かせてその通りやってみる。

「次にその面を全てスケルトンにしてください。さぁ、何が見えますか?」

おぉ!
これはすばらしい!
新しい答え、
難題はすべて解けた!

・・・なんてすぐに上手くいくはずなくて。
頭脳系の作業に不慣れな人間にとっては特別な訓練がいるみたい。

それでも、その3D画像が映し出す構造はとても興味深くて、
秘密の構造を明かしてくれるかもしれない。
だから、ダメもとで試してみる。

まず、コブの箇所を多方面からスキャン。
次にそれについての熱心な問診が始まり、注意深く答えていく。
大きさ、形、種類に続き、それが出来た経路、時期や理由、重要性と意義。
それからそれに効くであろうと予測されるあらゆる治療方法。。


スキャニング画像を拡大したら見えてきたもの。
壁と壁の隙間に存在するいくつもの小さい穴。
お気に入りのスカーフの虫食いの穴みたいに一見見落としそうなほどの些細な穴。
マシーンじゃなくて人間であるが故に出来る“欠陥”という穴。
不完全さが大きな助けとなることもある。
そこから細い管を通して新しい酸素を注入しよう。

不思議なもの。

そうこう考えているうちに、怒りも治まってきたようで。。
あんなに煩わしかった首の痛みにさえも
なんだか愛おしさを感じ始めている。

ははぁ。。こういう事ね。
「全ては“愛”よ、“愛”」が結果自分の答えらしく。。

バランスをとることに精一杯で、気にかけてあげられなかった不安の種たち。
時にはその存在を認めてあげる事で全てが解けることもある。
行き場を失ったそれらの感情たちは、
可哀想な迷い子みたいにあっちへ行ったり来たり。
自分が何者なのかも分かっていないみたい。
事実、不安なんてただの煙のようなもの。
煙は空気に紛れ、知らず知らずのうちに消えていくんだから。


首の筋のズレ。
スカートの裾の左右のズレ。
勢い良く引いた口紅のズレ。
押し付けたハンコの微妙なズレ。
価値観の違うカップルの明らかなズレ。
夢と現実の間の切ないズレ。
心と頭がぶつかり合うなんとも不快なズレ。

その周辺で鳴り響く不協和音に、時々耳を塞ぎたくなるけれど。。
そこにある種の“愛おしさ”を感じ取れるくらいの柔軟性が欲しい。
それはきっと自分自身を救ってくれる武器になる。

今、一つ一つの骨の位置をゆっくりと確かめてるところ。

この首、明日はもうちょっと良くなるかな。。



15 May 2015

5月、ハレルヤ。



部屋中の窓を開け放つと流れ込むそよ風が
窓辺のローズマリーの香りも一緒に運んでくる。
そんなんじゃ、昼下がりの仕事も一旦中断してちょっとだけ
ベッドに横になることもきっと許される。

10分だけ。

頼りない自分との約束。
今頃、随分な骨折り作業に没頭している君に対して
どこか後ろめたくはあるけれど。。
ほんの10分だけ、いいでしょう?

「ハレルヤ、ハレルヤ!」

いつもはラジオなんて聞かないのに急につけたくなる時がある。
ほとんどは、iTuneに入った音楽の中から聴きたいものが見つけられない時。
そして今日もそんな日。

インターナショナル系列のラジオ局から流れたのは教会の賛美歌と
その合間合間に響く牧師の説教。
何を聴きたい訳でもなかったし、
結局なんでも構わない。
このソワソワ感を紛らわせてくれるものだったら何だっていい。

午後3時。
だけどきっとあっちは真夜中過ぎか早朝のはず。
こんな地味なラジオをこんな天気の良い午後にひとり部屋で流しているなんて、
一体どんな奴だ??
って下の住人に聞こえたら、きっと思うかも。

風がさぁっと部屋を横切る。

生温いフランス語の響きがちょうど良い子守唄に変わる頃、
洗い立てのシーツに顔を埋める。
そう、子供の頃よくしたようにその穏やかな匂いを肺一杯に吸い込む。

これが“太陽の香り”だと信じきって。


「ハレルヤ、ハレルヤ。。」

聖歌隊たちは唄い牧師は熱心に何か唱えているけれど、
何を言ってるのか分かんないや。
ただ分かることはある人は唱え、ある人はそれを聞き、
ある人は信じ、ある人は疑い、
その様子を見て
ある人は笑い、ある人は嘲り、
ある人は戦い、ある人は降参する。

言葉が何の役にも立たなかったら、あとは全て想像に任せるしかない。

こうやってふかふかのシーツに包まれていると、
大きな山のてっぺんにでも上った気分。
そこから数えきれない人々の行動を一枚の絵の中に見ている感じ。

「過剰な評価も感情移入もまったく意味がない。
今はそれをそれとして観察するだけで十分だ!」

って、私を説得しようとしているのはどこの誰?

「だって、今ここに在るのは自分しかいないじゃないか。
今、君はこの太陽の匂いに夢中なんだから!」とその声は続く。

長い休暇中に少し“緑”を吸い込み過ぎちゃったかな。。?
まるで自分の中に木の根が張って、
細い枝の先が上へ上へと伸びているみたい。
背骨を階段のように一段一段上っていく。


頭よりも先に夏に向かう中間点を体が感じ取っている。

もうちょっとだけ待って!
まだ未熟で準備が足りない。。
なんていった不安な気持ちを他所に
枝は太陽の光を浴びて毎日どんどん伸びていって、
私の身長を高く高く持ち上げる。

ちょうど、まだ読みかけの楽譜を前にメトロノームをセットされた生徒。
前にしか伸びない5線の上を、“つまずいてでも進め!” って言う
ピアノの先生の言葉が降ってくる。

沢山の準備と練習を重ねても100%にならない自信も、
とにかく前に進む事が大切だという教訓だったのかしら。。

思えば確かに最後には何とかなっている。

才能ではなく努力で立ち向かう物事には、しばしば自分の力の無さに落胆して
「やっぱり、才能には勝てない」って、ふてくれさることもあるけれど、
与えられた才能を花咲かすにも努力が必要だし、
努力を実らせることも人並みはずれた才能がいる。
いや、努力をし続けられることこそ才能なのかもしれない。
結局は同じ線上に立っている。

重要なことは楽器を弾き熟すことよりも、その曲を楽しむことだ!
そんなのも昔、先生言ってたな。。

練習や準備があまりに過酷だとそんな本質を忘れがちだから、
たまには訳の分からない外国語のラジオでも聞きながら
太陽の香りに埋もれてみるのも悪くない。

そろそろ10分。。

扉の向こうに必ず素晴らしい夏が待ち構えている。

5月、きっとハレルヤ!


29 Apr 2015

タイミングの問題。




「何となく今かな。。」

ふと、もう何年も前に買った本のページを今恐る恐る開く。
どこで買ったかすら記憶に乏しい一冊の本。
取り急ぎ、目次に目を通しながらある感触を伺う。

本当に今が“頃合い”なのか、吟味しているところ。

こんな習性はそんなに容易く断ち切れるはずもなくて。。

何年も着ずにクローゼットの中にしまったワンピース、
箱に入ったままの靴に香水、
綺麗な布貼りのノート、
イニシャル入りのハンカチ
真新しい筆、
アンティークの時計にジュエリー。。etc


買いたい欲望と使いたい欲望の間で度々起こるタイムラグ。

手に入れたその日から、少し時間を置かせる習性。
時間といってもそれが何日、何ヶ月、何年になるのか分からない。
来ないかもしれない。
それでも、ベストタイミングが来るまで開けずにいる。
“寝る子は育つ”って言うし。。

密かに“待つ”という意識も特になく、
ただ放っておくだけの放置プレー。
自分と向こうの“時”の歯車が、ちょうどぴったりと噛み合って、
最高のバランスで稼働しだすその時まで。

それは、ちょっとした運試しみたいなもの。
買い物のついでにちょっと試してみるだけの商店街のくじ引きのような、
どうでもいいと思う挑戦の中にも一握りの期待感。

もしかしたら、
ちゃっかりピタリ賞でハワイ行きチケットを獲得できるかもしれないし、
“ハズレ”の紙切れ一枚を差し出されて「ありがとうございました」で終了かもしれない。

ハズレなら、「やっぱりね。」と肩をすくめるだけ。
残念賞でも手に入る意外と便利な粗品。
全ては引いてみてのお楽しみってわけ。
どちらにせよ、そんなに大きな被害は被らない。

そんな行動の一連をただの質の悪い習性だと思っている彼女は、
「なんじゃ、そりゃ?」って呆れ顔。

いいの、だってこっちも同感。
ほんとにそれって「なんじゃ、そりゃ」だもん。

どうぞお気に召すままで。

これは参加してもしなくてもどちらでも良いゲーム。
選択権は誰しもが持っている。
勝ち負けのない遊びに過ぎないからエキサイティングでもないし、
禁煙を試みる人のような頑固たる覚悟も血のにじむ程の努力も必要ない。

すべてはタイミングの問題。

ギアが変わって、タイヤの滑りが急に変わるような感覚が
どこからか流れ込む瞬間を楽しみたいだけ。


例えばこんなこと。

どんな風にコーディネートして良いのか分からなかった服が、
ある日を境に簡単に着こなせるようになったり。
当初はそこまでピンとこなかったCDを久々にかけたら、
急にはまってリピートしてしまったり。
難しい哲学書のように言葉がランダムに飛びちって少しも読めなかった本が、
ある日ふと手に取ると、食い入るように読み込んでしまったり。
何年も疎遠だったほんの知り合い程度の人とばったり道で再会した日から、
あっという間に家族の一員のように親しくなったり。

ある時を境に何かの流れが変わる瞬間。

この真理についてはほとんど皆無だけれど、
思うに水面下では常に時計の針が一つ一つ前進していて、
何一つ停止するものはないようで。
個々はそれぞれの歩幅とペースを変えず、目の前のライン上を進むだけ。

そうしてシンクロしていくうちに、
やがて2本の独立した線が合わさるポイントがやってきて1本になる。

まるでラジオのチューニング。
最高の音を出力すためには、つまみの微妙な調整が必要になる。

きっと目に見えない程の無数の線が少しづつ傾きを変えているのかも知れない。
変化は絶えず起こっているということ。

これって河川での営みとおんなじ。

海へ流れ出るはずの川の水がいくつかの大きな岩によって塞き止められると、
脇へ逸れて間違った方向へと流れていく。
だけど、時を経てその大きな岩も水との摩擦によって
丸っこい石ころにになって、そのうち小さな砂利になって、
水が緩やかに下っていくのを見届けることになる。

時間を置かないと育たない関係性。
それってやっぱりタイミングによる超自然現象。

う〜ん、そうなると結局のところ、
「時が君を癒してくれるよ。」って言い放ったいつかのアイツの言葉。
ハッ! 悔しいけど、全く的外れでもなかったって訳ね。。


「今開けないで、いつ開けるの??」

軽い軽蔑の眼差しを向ける彼女。

“癖”を指摘された人は、それがどんなものでも
内心少しはっとして同時にしゅんとなったりもする。
恥ずかしさもあるから、自虐的に笑ってみせたりもする。
それがある種の暗さと皮肉さを帯びた癖であるならなおさら、、
「そんな風に言わなくても!」って反論出来ないのは、
自分自身、少々気後れする部分もあるからでして。。

うん、うん、分かってるから。

でも必ず来るの!

今回のゲームもやはりハートとモノとのチューニング。

そうして手に取ったこの本の第一章を読み始める。
ほら、やっぱり今回もアタリだ!



12 Apr 2015

The First Delivery.


「◯◯様、郵便が届いております。」

ポエティークのジュエリーをオーダーしてくれた方々に、
ファーストデリバリー。

新しく何かを始める自分へ、
これまで頑張った自分へ、
何かを新しい風を呼び寄せたい自分へ、

頂いたオーダーの向こう側にあるそれぞれの美しい願い。

本当のジュエリーの価値は、お金でもなく目に見えるものでもなく
その人との繋がりから初めて生まれるもの。
こうやってわざわざオーダーして頂いた理由を聞くと、
ジュエリーと人との関係性はとても個人的で
ハートから生まれるのものだと改めて思う。

始まりにも終わりにも、過ぎ去った昔にもこれからやってくる未来にも
一生のうちのどの地点においてでも、
人はモノを介して自分の思いを宿すことがあるけれど、
ジュエリーはそれを受けとる一つの器のような、
それも美しくその人の一番近いところで存在する特別なモノ。

一言で“ジュエリー”と言ってもそのカテゴリーはとても多様化していて
ファッション、アート、プロダクトなど様々な分野で存在する。

そんな中でポエティークのジュエリーは、
常に人が持つ温もりの部分に寄り添ったものでありたい。

完璧に磨き上げたものでもなく、
どこか呼吸が感じられる仕上がりがいい。
それにある程度の厚み、心地が良いもの。
繊細過ぎるのも、今ではどこか不自然であまり惹かれない。


今回のデビューコレクション“Rose"
きっと始めにバラの花をイメージする方も多いと思うけれど、
実はその名の背景にあるのは、“ローズ”という名のある女性像。

彼女は、ある館で働くメイドのひとり。
ベテランの彼女の仕事振りは常に完璧そのもの。

綺麗に整えられたベッド。
皺一つなくたたまれた洗濯物。
テキパキと仕事をこなす彼女に出来ないことなんてないみたい。
自分に厳しく真面目な彼女はいつでもみんなの頼れる女性。

ある日、そんな彼女のプライベートの部屋にお邪魔して目にしたもの。

それは、“ローズ”という女性としてのもう一つの顔。

扉を開けて拡がっていたその世界は・・・

アンティークの家具に壁に掛けられた沢山の絵画。
寝室から流れるオペラの調べに、積み上げられた詩集の数々。
香しいオールドローズが窓際に慎ましやかに飾られて、
まるでそこは18世紀のフランスにタイムスリップしたよう。
とてもロマンティックで女性的で。。

ムードと優しさが拡がる彼女の部屋に招かれて、
人は何か魔法がかかったように幸せになる。

「日曜日の夕方にはこうやってダージリンティーを入れて、
植物についての本を読むの。」

って、シルクのローブを羽織り1人ソファーに寝そべる彼女。

夕日に照らされたその横顔が少しピンクがかって見える。

まるで別人みたい!
普段は見えないローズのもう一つの世界。

彼女は仕事も愛しているけれど、人生はそれだけではないってことを
本当に良く知っている大人の女性。


彼女の大きなハートはいつでもオープンで、
まさにバラの花のように大きな自信に満ちている。
それは彼女の純粋さと気品からやってくるもの。

女性の二面性。
それは誰もがきっと持っている。

女性は感情的だって言われるけれど、
その奥でとても冷静な目でそんな自分を見ていたり。
感情のコントロールは、もしかして女性の方が得意だったりして。

感情的だからこそ、理性を求めるもの。
繊細だからこそ、大胆さを装うもの。
時に、女性はそうやって無意識にバランスを保とうとしているみたい。
少なくともローズの場合は。。

強さと柔らかさ。
2つの世界を持つことでとれる感情のバランス。
ローズがいつも輝いて見えるのは、
そんな幸せの作り方を心得ているから?

“ローズ”という一人の女性への感嘆と憧れを形にした
ポエティークのデビューコレクション。

尽きる事のない彼女の世界を少しづつ広げていくように、
ローズ・コレクションはシーズンレスにこれからも続いていくはず。
だって、物語はまだまだ始まったばかり!

さて、ローズが想像上の人物か否かはここではまだ秘密に。。

dear Sweet Rose...

 

*只今でしたら都内であれば直接お届けもさせて頂きます。
お気軽にお問い合わせくださいませ。


7 Apr 2015

divine role.


そろそろモヘヤのセーターは役目を終えて、床に就くところ。
カシミヤのセーターもツイードのコートも
フェイクファーのクッションもみんなお疲れさま。

街の至る所で、新入社員たちの集団が群れをなしている。
まるで制服みたいな「スーツ&トレンチコート」姿の女の子達。
髪の毛は今日という日の為に慌てて黒く染めた風なのが、
あまりにも分かりやすくて初々しい光景。

「限りなく黒に近い茶色でお願いします!」
それとも、
「地毛に見えるくらい自然な感じで。」
って、きっと美容師さんにリクエスト。


サクラがひらひらと舞いながら、今道路を横切っている。
風に揺られて道端に集まっては、音も立てずおもむろに散っていく。

「今年も私の役目は終わったわ。。皆さん、また来年!」

なんてノンシャランにあくびでもしてたりして。

(本当にもう行っちゃうのね。。)

こんなこちらのセンチメンタルな感情なんて全く無関心な様子で
振り返りもせずに行ってしまう。

なんて清々しいんでしょう、あなたという人は!

自分の“役割”をちゃんと心得ていて、
人目につかない所で長い間ずーっと下準備してるんだから。
そうして出番が巡ってくればサラリとその役目を果たすし、
終焉を迎えれば清らかに去っていく。

ちょっと潔い良過ぎるのよ!

サクラにセーター、新しいスーツに旧い手帳。

それぞれがそれぞれに担っている“役目”があるらしい。
ちょうど俳優達が与えられた役を演じるみたいに。
それが主役であっても脇役であっても重要なキャストのひとり、
幕が閉じるまでは演じきらなければならない。

“使命”と言うと、あまりに厳粛過ぎてちょっと違う!
それよりもっと単純化した自然のやりとりのような
それぞれが他に“与えるもの”。

サクラは世の中に春の訪れを告げ、始まりと喜びをもたらす。
でも彼女たちは長い眠りから醒めてただ咲きたいだけ、
ちっともそんなつもりじゃないでしょう。


それは私たちの日常生活の中でもあること。

例えば。。

何気なく送ったメールの一句が相手を喜ばせたり、
何も考えずに行った行動が誰かの決断の引き金になったり、
軽く叩いた肩の感触が誰かの心を軽くしたり、
或いは、
ただ単にそこに自分が居ることが誰かを幸福にしたり。

それが直接的であっても、間接的であっても
他人にとって自分が重要な"役目”を果たしていたりもする。

特に努力もしないし、骨も折る事もない。
意図的でもなく戦略的でもなく、
自分が無意識に他に与えているようなこと。

自分以外のものを動かすエネルギーをまさに自分が発電しているみたい。
何のリスクも問題もお金もかからない、
人と人との間で起こる新しくて永続的なエネルギー源。

こんな風な自分と他者との関わり方はとても不思議で尊い形。

自分が出来ること = 果たすべき“役目”

のような目には見えない何らかの法則があるならば、
私たちはそこにプライドを持って良いと思う。

何気ない個人的な営みの一片が
知らず知らずのうちに誰かの役に立っているって、
やっぱりちょっといい気分。
“自分が役に立っている”という認識は
それが些細な事でも喜びと自信を与えてくれるから。

それじゃ、一体私の“役目”って。。?

もしかしてそれは、今、毎日関わっているもの全てなのかも。
自分が今やろうとしていること、既にやっていること、
社会の中でやむ終えず動かされていること、
時に嫌々ながら、時には楽しみながら、
悩み、喜び、驚き、怒りなどの感情によって発信しているもの全部。


春のおしまいに一瞬だけ、こんなことを考えてみる。

自分の一番の輝き方を心得ているサクラが、美しい。
例え一年に一度だけ、数週間でも。

春よ、またね!


28 Mar 2015

“春”の名の下に。


欲しいのはハーモニー。

春を目の前にして、今一番欲しいもの。
何かあともう一歩という感覚。

春はもう目と鼻の先。

ねえ、今年もちゃんと巡ってきたんだね。。
きっとまた何か新しいの、運んでくるんでしょ。

そんな予感がする。
気配だってあるし、兆しさえ感じる。
なんだって、すごく期待してる!
今年は何か違う気がする。。

なんて、意地悪なプレッシャーかけたりしないから。

やっておいで。
いいんだよ。
ちゃんと来てくれさえすれば、それでいい。

この時期の春は少し臆病者。
だから少しだけ気を配ってあげたいところ。
ほら、風に身を任せて窓の隙間から入り込んでくるかと思えば、
あらら。。やっぱり行ってしまった。
なんてこと、よくある光景でしょう?

そして、春は美しいハーモニーを見いだす季節。
その為にはきれいな響きの、均整のとれた和音が必要で。
完成させるのに、あと一つだけ音符を探してるとこ。

今日は古くて新しい音楽が聴きたいの。

ジャズが苦手なあの人の居ない隙に、
沢山のCDを腕に抱えて試供コーナーへ向かう。


壊れかけのプレーヤーに少々いらつきを覚えながら、
やっぱりこの場所がお気に入り。

小さな幸せの時間をくれるこのコージーコーナー。
ヘッドフォンをつけて前のお客よりヴォリュームをひとつまみほど上げる。
始めの部分が肝心なんだから!

「幸せは待つ人にだけやってくる」っていう
あのハーゲンダッツのコマーシャルを思い出しながら、
空を見上げてミリ・ヴァーノンの「weep for the boy」を聞く。

それから、「spring is here」が流れかけたところで、
いくつかの春を形容する言葉を思い浮かべる。

サクラ、たけのこ、もも、うららか、うるわし。。

今、平和を探してるとこ。
優しいことばの響きの中に眠る平和を呼び覚まして
いつの日かの誓いを果たしたい。

覚悟が必要なのは知っていて?
春を迎え、幸せになるためには覚悟がいることを。

見渡せばそこら中に息を潜め身を隠す希望たちがいるじゃない。
大きな声で「幸せ!」と叫びたい欲望たちも、
時折ヴェールを被って道の隅っこで目を伏せている。

この世の中には、花の種類ほど多種多様な人たち。

幸せになることを受け入れるものたちがいて、
恐れるものたちがいて、
創り出そうとするものたちがいて、
無心にかき乱そうとするものたちがいて、
恵みだと思うものたちがいて、
いささか罪だと感じるものもいて。


ねえ、春がもうじきやってくるの。
幸せを感じようよ。
それは、感じるもので説明するものではないんだから。

そうだ、新しい靴にでも履き替えたらどうかしら?
なければ、私の、貸してあげる。
優しい陽だまりの中を子供みたいに駆け回りたくはない?

きっと春しかない、こんなチャンスは。

そこら中に散らばった音符の1つ1つを拾い集めるチャンス。

あなたの、私の、家族の、友人たちの、隣の家の子の、
山の反対側の彼らの、海を越えた彼女らの、
狂気に魅せられた瞳たちの、愛を乞うものたちの、
奏でる音符はまるで違うんだもの。

それらを五線に乗せたなら、やっぱり響くのは不協和音?
ハーモニーを奏でる事は出来ないの?
誰も完璧なんて求めはしないでしょう。

彼らはもう既に出来上がった和音を奏でている、
あまりにも巧妙に組み込まれ過ぎている、
譲歩の余地もなく鳴り響いている、
だけど独創性には欠けている。

って、皆がそこら中で呟くの!

何が正しくて何が間違い?
それぞれがそれぞれを信じ込んでいる。
右を指すものもいれば、左を指すものもいる。
ゴールを目指すものもいれば、始めから漂うだけのものもいる。
答えを導こうとするものもいれば、
それ自体が馬鹿げていると言うものもいる。

季節は移り変わるのに、一体どこに向かうのかしら。。?

自分の位置を把握するのにすら少々時間がかかるみたい。
道行く人に聞いてみようとも、誰もが忙しそう。
地図を無くして道に迷った旅行者に
気に留める人たちだってそうそう居やしない。

お金を払えば、こんな会話の相手を誰かしてくれるかしら?


ああ、私のこのコージーコーナー。

もう最後のトラックもエンディングに差し掛かっているところ。
i guess i'll have to hang my tears out to dry
だなんて、タイミング良すぎ。

もう一度リピートしようかな。。

山積みにされたCD。
空にプカプカ浮かぶ雲を見つめながらいつだってこんな風。

居心地が良ければ良い程、
幸せであればある程、
素直にそれを受け入れらないのは、
何か後ろめたさを感じるのは、
それが春だから?

「春ですからね〜。」
だなんて、どうか気安く言わないで!

それにしても・・春が来るっていうのに、
まったく君はどこにいるの?

実のところ、春を迎えるのに一人じゃ心細いの。
君からの助けも必要としているっていうのに。

春が来る。
今、嬉しさと、不安と、もどかしさの狭間で立ちすくんでいるとこ。

それでも、希望をもつことは罪ではないでしょう??

サクラがサクラ色に色づく頃、
スミレがスミレ色に染まる頃、
空が空色に輝き始める頃、

春の匂いがする。

小さな春よ。
さあ、怖がらずにやっておいで。

目に見えない羽衣を追いかけるように、
一緒にそっと春を待とう。



22 Mar 2015

「例えば、、リボン。」


「忙しいんだよ。」

と、くるりと背中を向ける君。
どうせ構ってもらえなくたって結構!
ちっちゃな時から一人遊びはお得意さまだし、
それは大人になった今もそう。

少し拗ね気味に始まった週末は、
三晩も続いた悪夢のせい。
おまけに今でも左の首はひどく寝違えている。

窓を開ければ今年一番のうぐいすの鳴き声が響き渡り、
「陽気過ぎるじゃないの!本物なの?」
なんて、ひねくれ状態。

ありもしない夢の中の君の態度に、
午前中までは大分打ちのめされていたけれど。。
きっと午後からは大丈夫。
いつもより濃いめに入れたコーヒーで
「私だって忙しいの!」
って、忌まわしい悪夢たちにサヨウナラするの。
大事なのは今ここにある現実なんだから!
と強く自分に言い聞かせて。

とりあえず、デスクの脇のスケッチブックを開く。

「こんな一人っきりの“空き時間”を理想の世界で満たす、
一冊のスケッチブックがあればいいんだもの!」

くどくどとした理屈を自分なりに並べてみたものの、
まだ少々ご機嫌斜め。

だけど、一旦「例えば、、」が始まれば問題ないはず。
何かに打ち拉がれていたら、何かを生み出すことで救われる事もある。


スケッチブックの中は沢山の「例えば、、」が詰まっている。
あらゆるアイデア、ひらめき、情報、間違い、矛盾が混在するところ。

それらをペン一本で好きなだけ収納できて、いつでも持ち運び可能。
性能面ではAppleに負けるかもしれないし、
カギさえかけていないけれど、
ダイヤモンドのついたゴールドのネックレスよりもずっと貴重品。
全てのクリエーションの始まり。

さて、時間をちょっと巻き戻して。。

月曜日。
向かったのは蔵前の問屋街。
細々とした材料を必要とする製作者たちの中には、
きっと私のように、週末を早く終わらせて
問屋さんの営業が始まる週明けを楽しみにしている人がいるはず。

今週取り組んだ作業はリボン選び。
そして、リボンと言えばMOKUBA, maid in Japan!

初めて来たのはもう20年くらい前だったかな。
中学生の頃、母親に連れて行ってもらったっけ。
その頃はビーズやらリボンやらが大好きで、机の引き出し一杯になるくらい集めていた。
とにかく一番良いものが欲しかった。
ベルベット、シルク、ゴブランにアンティークレース・・
美しいものを見ると目だけが肥えていく。
何時間も迷いすぎて決められない私に、
「全部買えば良いじゃない!」と太っ腹な母親。
今思えば、本当に生意気な中学生!


お店のウィンドーも美しいMOKUBA。
ここでのリボン選びはまさに夢の時間。
15時には切り上げるって決めてたのに、もう!

だって、ここでもやっぱり、
終わりの無い「例えば。。」が始まってしまうから。

配色、手触り、幅、光沢感。。

リボンの魅惑にはまってしまったらもう大変!
ただの細長い布切れなのに、なんだってこんなにも心を射止めるの?

何でもないボックスにちょこんとリボンがつくだけで、突然特別なギフトに変わる。
リボンがもたらす喜びの魔法は、
子供から大人までがいとも簡単にかかってしまうみたい。
きっとこの世で最も素朴でピュアな仕掛けね。
まさに魔法の布切れ!

だからリボンの需要が続くことは、なんだか嬉しい。

日本が生み出す魔法の多くは、どこか素朴で控えめで
だけど暮らしの中の人の心情の部分に添うものな気がする。
きちんと頭と心のバランスのとれたデザイン。
この国の本来のテンポを感じられる商品が好き。
モノの本当のクオリティーは、
無理強いしなくても、ちゃんと伝わり拡がっていくと信じている。


さて、袋に詰めたサンプルたちを持って家路に着こう。


テーブルに広げたリボンの束たちを目の前に、
一人「例えば、、」の連続。

「例えば、、これとこれを組み合わせてみたり。。?」
「例えば、、この幅のこの長さで切って結んでみたり。。?」
「うぅーん。。例えば、、やっぱり違うか。。」

まるで気のぴったり合う友達とのおしゃべり。
その会話が何時間にも及ぶ理由の1つには、
こんな「例えば」で始まる未来形の言葉のやりとりが飛び交うから。

「例えば、、」はアイデアを膨らませる言葉。
「例え話」が多ければ多い程、
クリエーションのイメージは拡がっていくもの。

フワフワとして形のないものに分かりやすい筋道を立てながら、
目の前の霧に隠れた道を少しづつ発見し歩いていく。

「例えば、、」

とまた続き。

ラッピングの第3幕は、こんな1人呟きで溢れている!