7 Apr 2015

divine role.


そろそろモヘヤのセーターは役目を終えて、床に就くところ。
カシミヤのセーターもツイードのコートも
フェイクファーのクッションもみんなお疲れさま。

街の至る所で、新入社員たちの集団が群れをなしている。
まるで制服みたいな「スーツ&トレンチコート」姿の女の子達。
髪の毛は今日という日の為に慌てて黒く染めた風なのが、
あまりにも分かりやすくて初々しい光景。

「限りなく黒に近い茶色でお願いします!」
それとも、
「地毛に見えるくらい自然な感じで。」
って、きっと美容師さんにリクエスト。


サクラがひらひらと舞いながら、今道路を横切っている。
風に揺られて道端に集まっては、音も立てずおもむろに散っていく。

「今年も私の役目は終わったわ。。皆さん、また来年!」

なんてノンシャランにあくびでもしてたりして。

(本当にもう行っちゃうのね。。)

こんなこちらのセンチメンタルな感情なんて全く無関心な様子で
振り返りもせずに行ってしまう。

なんて清々しいんでしょう、あなたという人は!

自分の“役割”をちゃんと心得ていて、
人目につかない所で長い間ずーっと下準備してるんだから。
そうして出番が巡ってくればサラリとその役目を果たすし、
終焉を迎えれば清らかに去っていく。

ちょっと潔い良過ぎるのよ!

サクラにセーター、新しいスーツに旧い手帳。

それぞれがそれぞれに担っている“役目”があるらしい。
ちょうど俳優達が与えられた役を演じるみたいに。
それが主役であっても脇役であっても重要なキャストのひとり、
幕が閉じるまでは演じきらなければならない。

“使命”と言うと、あまりに厳粛過ぎてちょっと違う!
それよりもっと単純化した自然のやりとりのような
それぞれが他に“与えるもの”。

サクラは世の中に春の訪れを告げ、始まりと喜びをもたらす。
でも彼女たちは長い眠りから醒めてただ咲きたいだけ、
ちっともそんなつもりじゃないでしょう。


それは私たちの日常生活の中でもあること。

例えば。。

何気なく送ったメールの一句が相手を喜ばせたり、
何も考えずに行った行動が誰かの決断の引き金になったり、
軽く叩いた肩の感触が誰かの心を軽くしたり、
或いは、
ただ単にそこに自分が居ることが誰かを幸福にしたり。

それが直接的であっても、間接的であっても
他人にとって自分が重要な"役目”を果たしていたりもする。

特に努力もしないし、骨も折る事もない。
意図的でもなく戦略的でもなく、
自分が無意識に他に与えているようなこと。

自分以外のものを動かすエネルギーをまさに自分が発電しているみたい。
何のリスクも問題もお金もかからない、
人と人との間で起こる新しくて永続的なエネルギー源。

こんな風な自分と他者との関わり方はとても不思議で尊い形。

自分が出来ること = 果たすべき“役目”

のような目には見えない何らかの法則があるならば、
私たちはそこにプライドを持って良いと思う。

何気ない個人的な営みの一片が
知らず知らずのうちに誰かの役に立っているって、
やっぱりちょっといい気分。
“自分が役に立っている”という認識は
それが些細な事でも喜びと自信を与えてくれるから。

それじゃ、一体私の“役目”って。。?

もしかしてそれは、今、毎日関わっているもの全てなのかも。
自分が今やろうとしていること、既にやっていること、
社会の中でやむ終えず動かされていること、
時に嫌々ながら、時には楽しみながら、
悩み、喜び、驚き、怒りなどの感情によって発信しているもの全部。


春のおしまいに一瞬だけ、こんなことを考えてみる。

自分の一番の輝き方を心得ているサクラが、美しい。
例え一年に一度だけ、数週間でも。

春よ、またね!


28 Mar 2015

“春”の名の下に。


欲しいのはハーモニー。

春を目の前にして、今一番欲しいもの。
何かあともう一歩という感覚。

春はもう目と鼻の先。

ねえ、今年もちゃんと巡ってきたんだね。。
きっとまた何か新しいの、運んでくるんでしょ。

そんな予感がする。
気配だってあるし、兆しさえ感じる。
なんだって、すごく期待してる!
今年は何か違う気がする。。

なんて、意地悪なプレッシャーかけたりしないから。

やっておいで。
いいんだよ。
ちゃんと来てくれさえすれば、それでいい。

この時期の春は少し臆病者。
だから少しだけ気を配ってあげたいところ。
ほら、風に身を任せて窓の隙間から入り込んでくるかと思えば、
あらら。。やっぱり行ってしまった。
なんてこと、よくある光景でしょう?

そして、春は美しいハーモニーを見いだす季節。
その為にはきれいな響きの、均整のとれた和音が必要で。
完成させるのに、あと一つだけ音符を探してるとこ。

今日は古くて新しい音楽が聴きたいの。

ジャズが苦手なあの人の居ない隙に、
沢山のCDを腕に抱えて試供コーナーへ向かう。


壊れかけのプレーヤーに少々いらつきを覚えながら、
やっぱりこの場所がお気に入り。

小さな幸せの時間をくれるこのコージーコーナー。
ヘッドフォンをつけて前のお客よりヴォリュームをひとつまみほど上げる。
始めの部分が肝心なんだから!

「幸せは待つ人にだけやってくる」っていう
あのハーゲンダッツのコマーシャルを思い出しながら、
空を見上げてミリ・ヴァーノンの「weep for the boy」を聞く。

それから、「spring is here」が流れかけたところで、
いくつかの春を形容する言葉を思い浮かべる。

サクラ、たけのこ、もも、うららか、うるわし。。

今、平和を探してるとこ。
優しいことばの響きの中に眠る平和を呼び覚まして
いつの日かの誓いを果たしたい。

覚悟が必要なのは知っていて?
春を迎え、幸せになるためには覚悟がいることを。

見渡せばそこら中に息を潜め身を隠す希望たちがいるじゃない。
大きな声で「幸せ!」と叫びたい欲望たちも、
時折ヴェールを被って道の隅っこで目を伏せている。

この世の中には、花の種類ほど多種多様な人たち。

幸せになることを受け入れるものたちがいて、
恐れるものたちがいて、
創り出そうとするものたちがいて、
無心にかき乱そうとするものたちがいて、
恵みだと思うものたちがいて、
いささか罪だと感じるものもいて。


ねえ、春がもうじきやってくるの。
幸せを感じようよ。
それは、感じるもので説明するものではないんだから。

そうだ、新しい靴にでも履き替えたらどうかしら?
なければ、私の、貸してあげる。
優しい陽だまりの中を子供みたいに駆け回りたくはない?

きっと春しかない、こんなチャンスは。

そこら中に散らばった音符の1つ1つを拾い集めるチャンス。

あなたの、私の、家族の、友人たちの、隣の家の子の、
山の反対側の彼らの、海を越えた彼女らの、
狂気に魅せられた瞳たちの、愛を乞うものたちの、
奏でる音符はまるで違うんだもの。

それらを五線に乗せたなら、やっぱり響くのは不協和音?
ハーモニーを奏でる事は出来ないの?
誰も完璧なんて求めはしないでしょう。

彼らはもう既に出来上がった和音を奏でている、
あまりにも巧妙に組み込まれ過ぎている、
譲歩の余地もなく鳴り響いている、
だけど独創性には欠けている。

って、皆がそこら中で呟くの!

何が正しくて何が間違い?
それぞれがそれぞれを信じ込んでいる。
右を指すものもいれば、左を指すものもいる。
ゴールを目指すものもいれば、始めから漂うだけのものもいる。
答えを導こうとするものもいれば、
それ自体が馬鹿げていると言うものもいる。

季節は移り変わるのに、一体どこに向かうのかしら。。?

自分の位置を把握するのにすら少々時間がかかるみたい。
道行く人に聞いてみようとも、誰もが忙しそう。
地図を無くして道に迷った旅行者に
気に留める人たちだってそうそう居やしない。

お金を払えば、こんな会話の相手を誰かしてくれるかしら?


ああ、私のこのコージーコーナー。

もう最後のトラックもエンディングに差し掛かっているところ。
i guess i'll have to hang my tears out to dry
だなんて、タイミング良すぎ。

もう一度リピートしようかな。。

山積みにされたCD。
空にプカプカ浮かぶ雲を見つめながらいつだってこんな風。

居心地が良ければ良い程、
幸せであればある程、
素直にそれを受け入れらないのは、
何か後ろめたさを感じるのは、
それが春だから?

「春ですからね〜。」
だなんて、どうか気安く言わないで!

それにしても・・春が来るっていうのに、
まったく君はどこにいるの?

実のところ、春を迎えるのに一人じゃ心細いの。
君からの助けも必要としているっていうのに。

春が来る。
今、嬉しさと、不安と、もどかしさの狭間で立ちすくんでいるとこ。

それでも、希望をもつことは罪ではないでしょう??

サクラがサクラ色に色づく頃、
スミレがスミレ色に染まる頃、
空が空色に輝き始める頃、

春の匂いがする。

小さな春よ。
さあ、怖がらずにやっておいで。

目に見えない羽衣を追いかけるように、
一緒にそっと春を待とう。



22 Mar 2015

「例えば、、リボン。」


「忙しいんだよ。」

と、くるりと背中を向ける君。
どうせ構ってもらえなくたって結構!
ちっちゃな時から一人遊びはお得意さまだし、
それは大人になった今もそう。

少し拗ね気味に始まった週末は、
三晩も続いた悪夢のせい。
おまけに今でも左の首はひどく寝違えている。

窓を開ければ今年一番のうぐいすの鳴き声が響き渡り、
「陽気過ぎるじゃないの!本物なの?」
なんて、ひねくれ状態。

ありもしない夢の中の君の態度に、
午前中までは大分打ちのめされていたけれど。。
きっと午後からは大丈夫。
いつもより濃いめに入れたコーヒーで
「私だって忙しいの!」
って、忌まわしい悪夢たちにサヨウナラするの。
大事なのは今ここにある現実なんだから!
と強く自分に言い聞かせて。

とりあえず、デスクの脇のスケッチブックを開く。

「こんな一人っきりの“空き時間”を理想の世界で満たす、
一冊のスケッチブックがあればいいんだもの!」

くどくどとした理屈を自分なりに並べてみたものの、
まだ少々ご機嫌斜め。

だけど、一旦「例えば、、」が始まれば問題ないはず。
何かに打ち拉がれていたら、何かを生み出すことで救われる事もある。


スケッチブックの中は沢山の「例えば、、」が詰まっている。
あらゆるアイデア、ひらめき、情報、間違い、矛盾が混在するところ。

それらをペン一本で好きなだけ収納できて、いつでも持ち運び可能。
性能面ではAppleに負けるかもしれないし、
カギさえかけていないけれど、
ダイヤモンドのついたゴールドのネックレスよりもずっと貴重品。
全てのクリエーションの始まり。

さて、時間をちょっと巻き戻して。。

月曜日。
向かったのは蔵前の問屋街。
細々とした材料を必要とする製作者たちの中には、
きっと私のように、週末を早く終わらせて
問屋さんの営業が始まる週明けを楽しみにしている人がいるはず。

今週取り組んだ作業はリボン選び。
そして、リボンと言えばMOKUBA, maid in Japan!

初めて来たのはもう20年くらい前だったかな。
中学生の頃、母親に連れて行ってもらったっけ。
その頃はビーズやらリボンやらが大好きで、机の引き出し一杯になるくらい集めていた。
とにかく一番良いものが欲しかった。
ベルベット、シルク、ゴブランにアンティークレース・・
美しいものを見ると目だけが肥えていく。
何時間も迷いすぎて決められない私に、
「全部買えば良いじゃない!」と太っ腹な母親。
今思えば、本当に生意気な中学生!


お店のウィンドーも美しいMOKUBA。
ここでのリボン選びはまさに夢の時間。
15時には切り上げるって決めてたのに、もう!

だって、ここでもやっぱり、
終わりの無い「例えば。。」が始まってしまうから。

配色、手触り、幅、光沢感。。

リボンの魅惑にはまってしまったらもう大変!
ただの細長い布切れなのに、なんだってこんなにも心を射止めるの?

何でもないボックスにちょこんとリボンがつくだけで、突然特別なギフトに変わる。
リボンがもたらす喜びの魔法は、
子供から大人までがいとも簡単にかかってしまうみたい。
きっとこの世で最も素朴でピュアな仕掛けね。
まさに魔法の布切れ!

だからリボンの需要が続くことは、なんだか嬉しい。

日本が生み出す魔法の多くは、どこか素朴で控えめで
だけど暮らしの中の人の心情の部分に添うものな気がする。
きちんと頭と心のバランスのとれたデザイン。
この国の本来のテンポを感じられる商品が好き。
モノの本当のクオリティーは、
無理強いしなくても、ちゃんと伝わり拡がっていくと信じている。


さて、袋に詰めたサンプルたちを持って家路に着こう。


テーブルに広げたリボンの束たちを目の前に、
一人「例えば、、」の連続。

「例えば、、これとこれを組み合わせてみたり。。?」
「例えば、、この幅のこの長さで切って結んでみたり。。?」
「うぅーん。。例えば、、やっぱり違うか。。」

まるで気のぴったり合う友達とのおしゃべり。
その会話が何時間にも及ぶ理由の1つには、
こんな「例えば」で始まる未来形の言葉のやりとりが飛び交うから。

「例えば、、」はアイデアを膨らませる言葉。
「例え話」が多ければ多い程、
クリエーションのイメージは拡がっていくもの。

フワフワとして形のないものに分かりやすい筋道を立てながら、
目の前の霧に隠れた道を少しづつ発見し歩いていく。

「例えば、、」

とまた続き。

ラッピングの第3幕は、こんな1人呟きで溢れている!






15 Mar 2015

“おまけ”とラッピング。



「これ、おまけね。」

と言って、アメ玉を1つだけポンと袋に入れてくれたり、
キラキラ光るステッカーを一枚余分にひょいっと足してくれたり、
花を買ったら帰り際にガーベラを一輪だけそっと手渡してくれたり、

そんな何気ないコトでその日がとてもラッキーな日に感じることがある。

“おまけ”がもたらす喜び。
嬉しい不意打ちはまるで流れ星を見た時と同じ気持ち。
それはいつも思ってもいない品物で
必ずしも自分が求めているものではないけれど、
一瞬にして何か特別で素敵なギフトに変わることもある。


今週はこんな思いに少し浸っていたような、、
そして少し疲労困憊気味。
だって、あらゆる思いをぎゅっと詰め込んだから。

一体何のこと??

そう、先月にスタートしたジュエリーブランド
「ポエティーク」のための包装のこと!

サイトも既にアップしたし、本当だったらもうとっくに決まっているべきものの、
「ま、いいや」の延ばし延ばしでこの始末。
そんなところもなんて自分らしいんだろう。


先日、友人から貰ったmokichiのコーヒー。
“Blend Rouge Blend"と書かれた袋からは
もう既に夢のような良い香りが漂っている。
それにゆっくりとお湯を注ぎ入れたら、さあ始めよっか。

大きくて繊細なプロジェクト。
これがどれだけ重要だと言うことをずっと心の奥で知っていた。

時間をかける作業には必ずそれなりの理由がある。

“おまけ”がもたらすような素敵なサプライズ。
そんな魔法をどうしてもかけてみたくて。

第一幕。
それはお待ちかねの紙選び。

全てのデータをUSBに放り込んでとりあえず身支度し
お決まりの場所でちゃんと腹ごしらえをしたら、
迷わず竹尾ペーパーのショールームへ!

ここに来る時はいつも小雨だ。。
青山の静かな住宅地の中、この雨がこの訪問を
一層厳かな儀式のような気分にさせるのも、
何か意味があったりして。

この静かな空間ではあらゆる種類の紙を手に取れるから
時間がいくらあっても足りない。
ここで一日は過ごせるな。。
静かに夢中、、ってこういうの。

紙は本当に美しい。
色、厚み、触り心地で随分と雰囲気が変わる。
そして、どこまでも想像力を沸き立てる。

う〜ん、これもいいし、あれもいい感じ。


でも何故か手に取るのは全て日本の紙。
「里紙」「みやぎぬ」・・・
それから自分の求める色合い、
それらはやっぱり日本の色にあるらしい。
「古染」「かすみ」「くるみ」「うす鼠」「わら」
日本語の美しい響きをこんな所で口にするのがなんだか嬉しくなる。
きっと、これらの中に魔法を生み出す何かが潜んでいるはず。

そうこうしているうちに時間はどんどん過ぎていき・・
優柔不断な自分を無理矢理押し切って、
とりあえず試作分を手に入れる。
何事も集中力が切れる前に!が肝心でしょ?

アトリエに戻ったら第二幕。

切ったり折ったり、貼ったり重ねたり、
色々とやってみる。
ちょっとグラフィックデザイナーにでもなった気分で、
いつもとは違う感覚を使ってみれば
そこには面白い発見と新しい着眼点が生まれるもの。


試してみたのは、「重ね」。
それは着物のように、日本人の美意識が生み出してきた業。
どこまでも美しいものへの感覚を研ぎ澄ましていく“訓練”のような
なんとも奥深い教養を身につけるような
そんな時間を紙と共にひとり過ごす。

一つ一つの作業に意識を向けることは時間がかかる。
でも、そこには何か深く神聖な時間が流れていて
一瞬一瞬の価値の重さを体感出来るみたい。

そう、時間をかけて選び、練って、挑むことはとても愛おしい。
その途中段階では薄いヴェールに包まれているように
外側からは時に時間が止まっているかのように思われるけれど、
内側では絶えず動いている。

一番良いもの、納得のいくものを生み出したいという思い。

丁寧に、丁寧に。

ゆっくり進めばいいじゃない。
急ぐ必要なんてどこにある??
健やかな達成感はそうやって得られるものじゃないかしら?

自分が描きたい世界に続く細く見えない階段を一段一段、
セメントでしっかりと象っていく。
目に見えないものから「形」あるものへ。

そして第3幕へ。。。

to be continued..






1 Mar 2015

colour me marble.


毎日ほとんどが寝坊がちなこのからだ。
だけど今朝は結構早起きして
いつもと違う場所で朝のコーヒーを欲しがっている。
連日の寒さに身体のあちこちが痛むけど、
妙に清々しい気分。

気がつけば今日から3月。
春に向かうための見えない絨毯が目の前に敷かれたみたい。

サクッとバスに乗って数ストップ先のあのカフェまで行ってみようか。
ぱらつく小雨に、傘をさすのも億劫だから少し速足

いつものパソコンもスケッチブックも持たずに出てきたから、
バックの中はほとんど空っぽで。
うっかり忘れてきたんじゃない、業と忘れた振りをしてみた。
そんなことは十分承知なのに
朝のカフェの席でのこの手持ち無沙汰を、
諦めてただボーッと過ごす。
そんなやるせなさが
今日は都合の良い言い訳になる。

雨の日の朝のカフェが好き。
特に10時までの時間がお気に入り。
まだ人気のない店内で、程よい音量の話し声が辺りに響くから、
さっきまで見ていた夢のちょうど後半をもう少し見ているような
不思議な気持ちにさせてくれる。

見渡せばそこには様々なお客達。
常連さん?
Macを持ち込んだクリエーター達の朝のミーティング。
その横でマダム達の気ままな世間話。
ひとりiphone片手にフェイスブックをチェックする若い女子の隣では、
歳とった白髪のおじいさんがutubeに夢中になっている。

そんな中で、私はただボーッとして過ごす。


最近はこんな時間が贅沢で愛おしい。
ロンドンでの学生時代は、本当に良くボーッとして過ごしていた。
こんな風にカフェで。
1人の時もあれば2人の時もあって、制作の合間のほんの一息のつもりが
長丁場になることが殆どで。
そうして些かの罪悪感を持ってアトリエに戻る。

だけど、知ってるの。
あの時も今も、きっとこれからも。。


目的も理由も意味もないただ「居る」という感覚、
それのみを確かめる為のここは最良の場所だということを。

ヨガでも瞑想でも得られなかった、ここでのこうしたいわゆる“白”い時間。
いや、“白”というよりはもう少し“茶色”を含んだマーブルカラー。
カフェラテのフワフワの泡の中で、
少しの苦さと欲望が入り交じったようなそんな色。

だって、こんな清々朝にビリー・ホリデーなんかが
BGMで流れているんだから!

シミひとつないコットン100%の真っ白いシーツよりも、
皺だらけの洗いざらしのリネンをあえて選ぶような
そんな心地よい不完全さにどうしてもそそられる。

間違えたり、失敗したりを繰り返して得たものの中には、
何か特別な“特典”のようなものが潜んでいるような気がして。

それは手作りが生み出す柔らかさにも少し似ていたりもするのかな?

さて、そろそろ10時過ぎ。
今日のミッションをやり遂げるエネルギーは充分得たみたいだし、
今からはもうひとつの夢の作業へ。。

good morning world!




19 Feb 2015

Jewellery to be served!





先日、2/14のValentine's Dayに立ち上げたジュエリーブランド。

「POETIQUE(ポエティーク)」

“ブランド”と呼べる程、大きくも立派でもないけれど
この世に生み出されたひとつの小さな世界。

オリジナルでありたいと思えば思う程、
クリエイターとしての自分の内側を覗き込み深く深く掘り起こす作業。
自分の幼い頃の感覚をもう一度引っ張りだすような
なんとも自分にウソをつけない、
ある意味ピュアにならざるを得ない、
そして、手の込んだジュエリーの制作並に時間のかかる
一連の過程を経て辿り着いたのは、
ほんのスタート地点。

「ポエティーク(詩的な)」という名に込める思い。

言葉は人と人の間で交わされて
それは、情報となり知識となりコミュニケーションの便利なツールとなって
物事の大まかな概要を説明してはくれるけれど
きっと全ては語られない。

言葉以外から発せられるその人の“ことば”の中に
本当の”個”を語るヒントがあるはずで。

香り、しぐさ、動き、装いなど。。

その一片一片が単語に変わって詩のようにその人を語る。

そしてジュエリーもそのひとつ。

ただの装飾品だと思ってしまえばそうなるもの。
でもそこにはある主張が宿っていて、
知らないうちに“印象”という影を落としている。

言葉少なげに、静かにその人の“印象”を作るもの。

気がつけば、ただの装飾品という枠を超えて
その人の一部になり語り始める。

まるでファンタジーを思い描くように、
ジュエリーが人の想像を膨らませるものであってほしい。
その思いを「ポエティーク(詩的)」の名のもとに。



ちりばめられた小さな砂を拾い集めて城を造るように、
壊れやすいものを大事に形にしていく。

モノ作りや自分だけの世界を創造するには時間がかかるもの。
それでもその歓びは、
いつか誰かの喜びへの伝わっていくはず。。。

*

ハンドメイドの温もりを残したジュエリーのコレクションを
シーズンレスに制作していこうと思っています。

生まれたばかりのジュエリーブランド「ポエティーク」を
今後ともどうぞよろしくお願いします!





4 Oct 2014

ジャック・ドゥミ&ミシェル・ルグラン



ジャック・ドゥミがくれたもの。

芸術に生きる歓び。

夢を見てもいいということ。

ファンタジーはそこら中に散らばっていて、

形になるのを今か今かと待ち構えていること。

それはちょうど、地面に落ちたスパンコールが

太陽の光を反射してキラキラと輝き出すのと同じ。



ミシェル・ルグランがくれたもの。

感情の波の素晴らしさ。

その一揺れ一揺れが音符となってメロディーが生まれ、

言葉のないダイアログを話し始めること。

そしてちょうど、ジャズの軽快さが

雨の日を特別な日に変えてしまうように、

閉じた心をいとも簡単に開かせてしまう。



ジャック・ドゥミ&ミシェル・ルグラン。

最高の美学反応。

大学生だった頃、

彼らの作品を初めて見た時の感動は一生忘れない。

しばしば強ばりがちだったマインドは

水蒸気みたいに軽くなって上のほうへと浮遊していった。

「あぁ、なんて素晴らしいんだろう!」

溢れんばかりの色、映像、音楽が

彼らの感性を通って世界を歓びで満たす。




行き場を失ってふさぎ込められていた感情の塊が

ラッパの音と一緒に一気に外の世界へ吹き出した。

気づけば嬉しさのあまり涙がぽろぽろ、ぼろぼろ。。

そんな自分自身に驚いたけれど、

感動の涙は一番美しいと気がついた。

“アート”という意味を持たない言葉に

一気に命が吹き込まれるのを感じた瞬間。

「私は欲しかったのはこれだ!」

と確信した瞬間。

まるで大きな花束を腕いっぱいに受けとったような

そんな歓びに満ちあふれた瞬間。



コンセプトばかりを追い求める毎日の中では

時に頭がショートしてしまう程疲れ果てて、

人生の影の方へ引き込まれがちだけど、

彼らの作品に触れると、

悲しみや憂いさえも美しい色に染まって

朝日で目が覚めたように

もっとずっと明るい方へと導いてくれる。

そして、「YES」が全ての答えになる。

まるでお菓子をもらった子供に戻ったみたい!

嬉しくてたまらなくて、“喜ぶ”ことに夢中になって。。

自分に対して他人面だった“アート”が

「美しかったらそれでいいんだよ」

と軽く囁いたあと、

「仲良く手をつなごうよ!」

と手を差し伸べてくる。

そんな感じ。


「アート」という言葉。

それはいつでも空っぽで在ってほしい。

「種も仕掛けもございません!」

というマジシャンの言葉通り

何のカラクリもない空っぽのボックスなら、

夢と感動を好きなだけ沢山閉じ込められる!

そうしたら、自分はその空っぽな「アート」という箱に

どれだけの夢を詰められるんだろう?

観客が私の箱を開けたら、白い鳩が飛び出す?

それとも、

目に見えない感動のスパークルがそこら中に舞う?

詰まるところ、

「信じるか信じないかはあなた次第!」で幕は閉じるもの。

だから、自分を信じてやってみたい。


人の感情はたまに厄介で

笑ったり怒ったり、泣いたり、どうしようもなく落ち込んだり、

時に壮絶なドラマを生み出すけれど、

それは何かを生み出すエネルギーで特別な力を持った魔法のツール。

だから絶対に失いたくない大切なもの。

もっともっと感動が欲しい!

感動することは、理由なく価値があることを

時と文化と言葉を超えて

ジャックとミシェルが教えてくれる。

merci beaucoup.