29 Apr 2015

タイミングの問題。




「何となく今かな。。」

ふと、もう何年も前に買った本のページを今恐る恐る開く。
どこで買ったかすら記憶に乏しい一冊の本。
取り急ぎ、目次に目を通しながらある感触を伺う。

本当に今が“頃合い”なのか、吟味しているところ。

こんな習性はそんなに容易く断ち切れるはずもなくて。。

何年も着ずにクローゼットの中にしまったワンピース、
箱に入ったままの靴に香水、
綺麗な布貼りのノート、
イニシャル入りのハンカチ
真新しい筆、
アンティークの時計にジュエリー。。etc


買いたい欲望と使いたい欲望の間で度々起こるタイムラグ。

手に入れたその日から、少し時間を置かせる習性。
時間といってもそれが何日、何ヶ月、何年になるのか分からない。
来ないかもしれない。
それでも、ベストタイミングが来るまで開けずにいる。
“寝る子は育つ”って言うし。。

密かに“待つ”という意識も特になく、
ただ放っておくだけの放置プレー。
自分と向こうの“時”の歯車が、ちょうどぴったりと噛み合って、
最高のバランスで稼働しだすその時まで。

それは、ちょっとした運試しみたいなもの。
買い物のついでにちょっと試してみるだけの商店街のくじ引きのような、
どうでもいいと思う挑戦の中にも一握りの期待感。

もしかしたら、
ちゃっかりピタリ賞でハワイ行きチケットを獲得できるかもしれないし、
“ハズレ”の紙切れ一枚を差し出されて「ありがとうございました」で終了かもしれない。

ハズレなら、「やっぱりね。」と肩をすくめるだけ。
残念賞でも手に入る意外と便利な粗品。
全ては引いてみてのお楽しみってわけ。
どちらにせよ、そんなに大きな被害は被らない。

そんな行動の一連をただの質の悪い習性だと思っている彼女は、
「なんじゃ、そりゃ?」って呆れ顔。

いいの、だってこっちも同感。
ほんとにそれって「なんじゃ、そりゃ」だもん。

どうぞお気に召すままで。

これは参加してもしなくてもどちらでも良いゲーム。
選択権は誰しもが持っている。
勝ち負けのない遊びに過ぎないからエキサイティングでもないし、
禁煙を試みる人のような頑固たる覚悟も血のにじむ程の努力も必要ない。

すべてはタイミングの問題。

ギアが変わって、タイヤの滑りが急に変わるような感覚が
どこからか流れ込む瞬間を楽しみたいだけ。


例えばこんなこと。

どんな風にコーディネートして良いのか分からなかった服が、
ある日を境に簡単に着こなせるようになったり。
当初はそこまでピンとこなかったCDを久々にかけたら、
急にはまってリピートしてしまったり。
難しい哲学書のように言葉がランダムに飛びちって少しも読めなかった本が、
ある日ふと手に取ると、食い入るように読み込んでしまったり。
何年も疎遠だったほんの知り合い程度の人とばったり道で再会した日から、
あっという間に家族の一員のように親しくなったり。

ある時を境に何かの流れが変わる瞬間。

この真理についてはほとんど皆無だけれど、
思うに水面下では常に時計の針が一つ一つ前進していて、
何一つ停止するものはないようで。
個々はそれぞれの歩幅とペースを変えず、目の前のライン上を進むだけ。

そうしてシンクロしていくうちに、
やがて2本の独立した線が合わさるポイントがやってきて1本になる。

まるでラジオのチューニング。
最高の音を出力すためには、つまみの微妙な調整が必要になる。

きっと目に見えない程の無数の線が少しづつ傾きを変えているのかも知れない。
変化は絶えず起こっているということ。

これって河川での営みとおんなじ。

海へ流れ出るはずの川の水がいくつかの大きな岩によって塞き止められると、
脇へ逸れて間違った方向へと流れていく。
だけど、時を経てその大きな岩も水との摩擦によって
丸っこい石ころにになって、そのうち小さな砂利になって、
水が緩やかに下っていくのを見届けることになる。

時間を置かないと育たない関係性。
それってやっぱりタイミングによる超自然現象。

う〜ん、そうなると結局のところ、
「時が君を癒してくれるよ。」って言い放ったいつかのアイツの言葉。
ハッ! 悔しいけど、全く的外れでもなかったって訳ね。。


「今開けないで、いつ開けるの??」

軽い軽蔑の眼差しを向ける彼女。

“癖”を指摘された人は、それがどんなものでも
内心少しはっとして同時にしゅんとなったりもする。
恥ずかしさもあるから、自虐的に笑ってみせたりもする。
それがある種の暗さと皮肉さを帯びた癖であるならなおさら、、
「そんな風に言わなくても!」って反論出来ないのは、
自分自身、少々気後れする部分もあるからでして。。

うん、うん、分かってるから。

でも必ず来るの!

今回のゲームもやはりハートとモノとのチューニング。

そうして手に取ったこの本の第一章を読み始める。
ほら、やっぱり今回もアタリだ!



12 Apr 2015

The First Delivery.


「◯◯様、郵便が届いております。」

ポエティークのジュエリーをオーダーしてくれた方々に、
ファーストデリバリー。

新しく何かを始める自分へ、
これまで頑張った自分へ、
何かを新しい風を呼び寄せたい自分へ、

頂いたオーダーの向こう側にあるそれぞれの美しい願い。

本当のジュエリーの価値は、お金でもなく目に見えるものでもなく
その人との繋がりから初めて生まれるもの。
こうやってわざわざオーダーして頂いた理由を聞くと、
ジュエリーと人との関係性はとても個人的で
ハートから生まれるのものだと改めて思う。

始まりにも終わりにも、過ぎ去った昔にもこれからやってくる未来にも
一生のうちのどの地点においてでも、
人はモノを介して自分の思いを宿すことがあるけれど、
ジュエリーはそれを受けとる一つの器のような、
それも美しくその人の一番近いところで存在する特別なモノ。

一言で“ジュエリー”と言ってもそのカテゴリーはとても多様化していて
ファッション、アート、プロダクトなど様々な分野で存在する。

そんな中でポエティークのジュエリーは、
常に人が持つ温もりの部分に寄り添ったものでありたい。

完璧に磨き上げたものでもなく、
どこか呼吸が感じられる仕上がりがいい。
それにある程度の厚み、心地が良いもの。
繊細過ぎるのも、今ではどこか不自然であまり惹かれない。


今回のデビューコレクション“Rose"
きっと始めにバラの花をイメージする方も多いと思うけれど、
実はその名の背景にあるのは、“ローズ”という名のある女性像。

彼女は、ある館で働くメイドのひとり。
ベテランの彼女の仕事振りは常に完璧そのもの。

綺麗に整えられたベッド。
皺一つなくたたまれた洗濯物。
テキパキと仕事をこなす彼女に出来ないことなんてないみたい。
自分に厳しく真面目な彼女はいつでもみんなの頼れる女性。

ある日、そんな彼女のプライベートの部屋にお邪魔して目にしたもの。

それは、“ローズ”という女性としてのもう一つの顔。

扉を開けて拡がっていたその世界は・・・

アンティークの家具に壁に掛けられた沢山の絵画。
寝室から流れるオペラの調べに、積み上げられた詩集の数々。
香しいオールドローズが窓際に慎ましやかに飾られて、
まるでそこは18世紀のフランスにタイムスリップしたよう。
とてもロマンティックで女性的で。。

ムードと優しさが拡がる彼女の部屋に招かれて、
人は何か魔法がかかったように幸せになる。

「日曜日の夕方にはこうやってダージリンティーを入れて、
植物についての本を読むの。」

って、シルクのローブを羽織り1人ソファーに寝そべる彼女。

夕日に照らされたその横顔が少しピンクがかって見える。

まるで別人みたい!
普段は見えないローズのもう一つの世界。

彼女は仕事も愛しているけれど、人生はそれだけではないってことを
本当に良く知っている大人の女性。


彼女の大きなハートはいつでもオープンで、
まさにバラの花のように大きな自信に満ちている。
それは彼女の純粋さと気品からやってくるもの。

女性の二面性。
それは誰もがきっと持っている。

女性は感情的だって言われるけれど、
その奥でとても冷静な目でそんな自分を見ていたり。
感情のコントロールは、もしかして女性の方が得意だったりして。

感情的だからこそ、理性を求めるもの。
繊細だからこそ、大胆さを装うもの。
時に、女性はそうやって無意識にバランスを保とうとしているみたい。
少なくともローズの場合は。。

強さと柔らかさ。
2つの世界を持つことでとれる感情のバランス。
ローズがいつも輝いて見えるのは、
そんな幸せの作り方を心得ているから?

“ローズ”という一人の女性への感嘆と憧れを形にした
ポエティークのデビューコレクション。

尽きる事のない彼女の世界を少しづつ広げていくように、
ローズ・コレクションはシーズンレスにこれからも続いていくはず。
だって、物語はまだまだ始まったばかり!

さて、ローズが想像上の人物か否かはここではまだ秘密に。。

dear Sweet Rose...

 

*只今でしたら都内であれば直接お届けもさせて頂きます。
お気軽にお問い合わせくださいませ。


7 Apr 2015

divine role.


そろそろモヘヤのセーターは役目を終えて、床に就くところ。
カシミヤのセーターもツイードのコートも
フェイクファーのクッションもみんなお疲れさま。

街の至る所で、新入社員たちの集団が群れをなしている。
まるで制服みたいな「スーツ&トレンチコート」姿の女の子達。
髪の毛は今日という日の為に慌てて黒く染めた風なのが、
あまりにも分かりやすくて初々しい光景。

「限りなく黒に近い茶色でお願いします!」
それとも、
「地毛に見えるくらい自然な感じで。」
って、きっと美容師さんにリクエスト。


サクラがひらひらと舞いながら、今道路を横切っている。
風に揺られて道端に集まっては、音も立てずおもむろに散っていく。

「今年も私の役目は終わったわ。。皆さん、また来年!」

なんてノンシャランにあくびでもしてたりして。

(本当にもう行っちゃうのね。。)

こんなこちらのセンチメンタルな感情なんて全く無関心な様子で
振り返りもせずに行ってしまう。

なんて清々しいんでしょう、あなたという人は!

自分の“役割”をちゃんと心得ていて、
人目につかない所で長い間ずーっと下準備してるんだから。
そうして出番が巡ってくればサラリとその役目を果たすし、
終焉を迎えれば清らかに去っていく。

ちょっと潔い良過ぎるのよ!

サクラにセーター、新しいスーツに旧い手帳。

それぞれがそれぞれに担っている“役目”があるらしい。
ちょうど俳優達が与えられた役を演じるみたいに。
それが主役であっても脇役であっても重要なキャストのひとり、
幕が閉じるまでは演じきらなければならない。

“使命”と言うと、あまりに厳粛過ぎてちょっと違う!
それよりもっと単純化した自然のやりとりのような
それぞれが他に“与えるもの”。

サクラは世の中に春の訪れを告げ、始まりと喜びをもたらす。
でも彼女たちは長い眠りから醒めてただ咲きたいだけ、
ちっともそんなつもりじゃないでしょう。


それは私たちの日常生活の中でもあること。

例えば。。

何気なく送ったメールの一句が相手を喜ばせたり、
何も考えずに行った行動が誰かの決断の引き金になったり、
軽く叩いた肩の感触が誰かの心を軽くしたり、
或いは、
ただ単にそこに自分が居ることが誰かを幸福にしたり。

それが直接的であっても、間接的であっても
他人にとって自分が重要な"役目”を果たしていたりもする。

特に努力もしないし、骨も折る事もない。
意図的でもなく戦略的でもなく、
自分が無意識に他に与えているようなこと。

自分以外のものを動かすエネルギーをまさに自分が発電しているみたい。
何のリスクも問題もお金もかからない、
人と人との間で起こる新しくて永続的なエネルギー源。

こんな風な自分と他者との関わり方はとても不思議で尊い形。

自分が出来ること = 果たすべき“役目”

のような目には見えない何らかの法則があるならば、
私たちはそこにプライドを持って良いと思う。

何気ない個人的な営みの一片が
知らず知らずのうちに誰かの役に立っているって、
やっぱりちょっといい気分。
“自分が役に立っている”という認識は
それが些細な事でも喜びと自信を与えてくれるから。

それじゃ、一体私の“役目”って。。?

もしかしてそれは、今、毎日関わっているもの全てなのかも。
自分が今やろうとしていること、既にやっていること、
社会の中でやむ終えず動かされていること、
時に嫌々ながら、時には楽しみながら、
悩み、喜び、驚き、怒りなどの感情によって発信しているもの全部。


春のおしまいに一瞬だけ、こんなことを考えてみる。

自分の一番の輝き方を心得ているサクラが、美しい。
例え一年に一度だけ、数週間でも。

春よ、またね!